2017年8月12日 (土)

2017夏_10連休2日目(「健康で文化的な最低限度の生活」)

今朝はいつもの時間より少し遅く起きだした。

それでもまだ雨が降っていて、ワンコの散歩に出るのも遅れてしまった。

午前中は延び延びになっていた四国(愛媛)遍路のまとめを書き始めた。

が、すでに1か月以上前のこと、忘れてしまったことも多いが、現地からアップしたブログの記事と写真の日時を見比べながら、なんとか書き上げた。

ちょっと面白みに欠ける記事になってしまったが、写真も入れて午後3時過ぎにはアップできた。(日付はズルをして1週間ほどさかのぼってしまった)

2017_8_12その後は一昨日、ブックオフとツタヤをはしごしてそろえた柏木ハルコさんの書いた『健康で文化的な最低限度の生活』を読み始めた。

元はビッグコミック・スピリッツに連載されているもので、今年の6月までに5巻まで発行されている。

一昨日読み終えた雨宮処凛さんの『女子と貧困―乗り越え、助け合うために』(かもがわ出版)のなかで紹介されていたものだ。

タイトル通り、生活保護についての現場の様子がよく描かれている。

結局5巻まで読み終えてしまった。

さて、明日からは少し勉強をしなければと思いつつ・・・。

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2007年2月22日 (木)

「高尾山 ちいさな山の生命たち」(写真集 佐野高太郎の視点シリーズ第3巻)

2007_2_22 そのねこちゃんから、帰り際に「お土産があるの」と手渡されたのがこの写真集。

全国学校図書館協議会選定図書にもなっているこの写真集は、「KALAHARI チータがいる砂漠」「北海道 リスとナキウサギの季節」に続く、写真家佐野高太郎さん撮り下ろしの第3弾で、かもがわ出版より2月18日に発売になったばかりのものだ。

高尾山の空に向かって枝を広げる大きなブナ・イヌブナ。

落ち葉の陰からひっそりと顔をのぞかせて花を咲かせている小さな植物。

森に息づく虫やカエルや鳥たち。

高尾山の自然と、その自然に生かされている生き物たちの姿が、どのページにもしっかりと映し出されている。

決して派手さはないけれど、私たちが失ってはいけないものがそこにあることをどの写真も訴えかけている。

2007_2_22_2 私が一番引き込まれたのはこの1枚。

「ハナネコノメ」とある。

やっぱり今日はネコの日!だった。

【関連記事】「高尾山麓からの花だより」(おくださがこ)

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2006年9月30日 (土)

子育て川柳(「平和」は我が家から…53)

2006_9_29_2 今日の新聞に「ハッピー子育て川柳」(金の星社、税抜き900円)の出版記事が載っていた。

ベビー用品メーカーの和光堂が2004年から募集している「子育て川柳」の入選作をまとめたもので、3年分の105作品がイラスト入りで紹介されているという。

ちょっと買うほどは…と思いつつ、ネットをさがしていたら、本家・和光堂のホームページにしっかりと入選作品が掲載されていた。(和光堂は我が家でも3人の子どもたちが、離乳食やベビー用品でお世話になったところだった)

毎年の最優秀賞を「わこちゃん大賞」として表彰している。

育休は 休暇と書くが  休みなし!(長崎県 桑原 直子さん 2006年)

やっと寝た! あとはこの腕 どう抜くか・・・(千葉県 山田 育子さん 2005年)

毎日が やった!できたね! 記念日です(宮城県 20代女性さん 2004年)

どれも、なるほどとうなずける。

でも、面白いなぁと思ったのは次の入選や佳作の作品。

ペラペラと よくしゃべるのに まだオムツ(東京都 坂田恵美さん)

褒めないで 店のトイレで 「ママ、じょ~ず!」(神奈川県 30代女性さん)

夜泣く子 パパの耳元 おいてみる(東京都 30代女性さん)

だまらせろ そんなあなたを だまらせたい(東京都 40代女性さん)

「泣いてるぞ」 起きぬ妻見て また俺か~(福井県 D51さん)

で、次の作品を読んだらちょっとしみじみとしてしまった。

弟が 寝てから叱った 兄を抱き(佐賀県 原 峻一郎さん)

夜泣きされ 見れば兄ちゃん 頭なで(富山県 南 明子さん)

そういえばと思い出した。

上の息子が保育園の年長さん(5歳児クラス)、下の息子が年少さん(1歳児クラス)のときの話。

保育園のお散歩で、みんなしてチッタラッタチッタラッタと出かけた時のこと。

下の子は2歳になったばかりの頃なので、たぶんお散歩ロープにつかまってか、お散歩車に乗ってのお散歩。

疲れてきた頃、保母さんがあめ玉をみんなにしゃぶらせた。

少しはなめたのだろうか、下の息子があめ玉を落としてしまい、じゃりじゃりになったあめ玉を見つめて泣き出した。

すると泣き声を聞きつけてやってきた上の息子が、自分の口からしゃぶっていたあめ玉を出して、弟の口に入れてやったのだという。

お迎えのとき、この話を嬉しそうに伝えてくれた保母さん。

我が家にとって、この話は「伝説」。宝物のひとつになっている。

その息子たちも今や大学1年生と中学3年生だ。

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2006年4月 1日 (土)

高尾山麓からの花だより(おくださがこ)

2006_4_1 昨日で選択定年を迎えた長年の友人・先輩である方から、この本をいただいた。

著者は<おくださがこ>さん。(発売元はかもがわ出版
小学校・養護学校の美術の教員をされていた方で、「高尾山の自然をまもる市民の会」の会報に12年間連載してきたエッセイをまとめられたとのこと。

高尾山麓の四季を静かに彩る草花や木々がこまやかに描かれていて、ページをめくるたびに、その文章と合わせて草のにおいとともに何か懐かしいものがこみ上げてくる。

と同時に、高尾山が好きで、その自然を守りたいという、おくださんの強い思いがひしひしと伝わってくる。

【おわりに】は、おくださんの次の言葉でむすばれている。

高尾山麓に住んで35年経ちました。ここで家庭を持ち、子育てし、仕事に出ながら、朝夕山を見て暮らしてきました。高尾山はちいさな山ですが、豊かな生態系を持ち、疲れた人の心を癒し、元気な人にはさらに生きる喜びをくれる不思議な山です。

この高尾山に高速道路のトンネルをつくるという計画を22年前に聞いた時、信じられない思いでした。美術の教育を中心に、子どもたちの感性をはぐくむ仕事に誇りと生きがいをかけてきた私は、大都会に住む人々の心のよりどころを壊し、たくさんのちいさな命を奪う計画を許すことはできません。

この本は、「高尾山の自然をまもる市民の会」の会報に12年間余り連載してきたエッセイの中から選んでつくりました。今、高尾山は危機に直面しています。次の世代にこの山をそのまま手渡すために、どうぞ力を貸してください! (2006年春)

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2006年3月 3日 (金)

終了しますが、本当によろしいですか?(ASAhi パソコン最終号)

またおいいたしましょう。

 これが本当の最後になりました。ASAHIパソコンは今号、2006年3月15日号、通巻399号をもって、休刊させていただきます。
 読んでいただいた読者の皆さん、取材等でお世話になったメーカーの方々、広告を出していただいたスポンサー、執筆者、編集者、カメラマン、イラストレーター、デザイナー、校閲、印刷会社、製紙会社のみなさん、18年間ありがとうございました。
 また、内輪話になりますが、これまで在籍した60人の編集部員、広告、販売、制作担当者にも感謝します。
 -----中略------
 そう遠くない時期、ASAHIパソコンのDNAが継承された媒体を、お目にかけたいと思っています。
 その時またお逢いしましょう。
                                    SAHIパソコン編集長
                                    勝又ひろし

2006_3_2 思いつく限りの関係者への感謝の言葉が、アサヒパソコン最終号の巻頭に書かれている。

18年間続いた雑誌の最終号。

おすぎも10年以上のお付き合いになる。

途中、とびとびになったり、「積ん読」だけになったりした時期もあったけど。

職場に導入されたパソコンにこわごわ触るおすぎをずいぶん励ましてくれた雑誌である。

表紙に書かれた「!終了しますが、本当によろしいですか?」

「はい(Y)」「いいえ(N)」のボタンが並んでいる。

できれば「はい(Y)」のボタンは押したくないけれど・・・。

ps)でも、表紙の色はなんで「赤」なんだろう?

1.赤は「止まれ」→休刊
2.赤は「おめでたい」→とにかく最終号なのでおめでたい。(そういえば、我が家の今夜のご飯は赤飯だった!)
3.赤は「目立つ」→とにかく最後なので目立ちたかっただけ?

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2006年2月 2日 (木)

ASAhIパソコン休刊

1月28日付の朝日新聞朝刊の片隅に小さな記事が載っていた。

アサヒパソコン休刊

朝日新聞社はパソコン誌「アサヒパソコン」(月2回刊)の休刊を決めた。2月28日発売の3月15日号(通巻399号)を最後に休刊する。
アサヒパソコンは88年10月、初心者向けパソコン誌として創刊された。親しみやすいパソコン、IT情報誌として評価を得てきたが、インターネットの急速な普及による情報手段の多様化などで、その役割を終えたと判断した。

Windows95以降、職場にパソコンが導入され、好むと好まざるとに関わらず、パソコンに触らなければならなくなった。恐るおそるパソコンに触れるおすぎにとって、アサヒパソコンは強い味方だった。

2006_2_2 自宅でもパソコンを購入し、ダイアルアップでインターネットに接続。その後ISDN、ホームLAN、ADSL、無線LAN・・・。アサヒパソコンの「特集」を結構頼りにしてきた。

アサヒパソコンの良かったところは、もちろん技術的な情報やマニュアル部分にもあるが、何より「読むところがある」パソコン誌だったと思う。
ロボットに殺人兵士やらせようとしてるやつが嫌い(西和彦氏)」にも書いたが、結構面白い対談や教育・福祉と絡めた記事など参考になるものが多かった。

「休刊」と知って買ったのがこの2/15号。こちらにも「休刊のお知らせ」が載っていた。

~機械のほうは毎年何十倍と速く、賢くなっているのに、人間の進歩は遅々たるもの、雑誌ももっと速く変わっていかなければならないわけですね。ひとまず本誌の使命は果たした、と判断いたしました。
十八年間ありがとうございました。もうしばらくお付き合いください。

と「六代目にして最後の編集長」氏は書いている。

あと2号・・・。
何だかさみしい。
 

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2006年1月29日 (日)

「その日のまえに」(重松清)

2006_1_29 昨年秋に知人からこの本をいただいた。
それまで重松清の本は読んだことはなかったが、ちょうど保育関係の講演会で重松氏の話を聞き、興味を持っていたところだった。

「その日のまえに」は5本の短編から成っている。

ひこうき雲
30年前の小学校6年生だった時の話し。「ガンリュウ」と呼ばれる病気の気配などこれっぽっちも感じさせない同級生の女の子がが突然転校・入院する。
先生に言われ、イヤイヤみんなで書いた色紙を持って訪れた病院で見た彼女は「影が薄く」なっていた。

朝日のあたる家
「きちんと計算された場所に計算された量のダイナマイトを仕込んで爆破させると、ビルはみごとに内側に崩れ落ちて、周囲の建物にはかけら一つ飛ばさない。昌史の死に方は、それと同じだ。」
8年前に夫を心不全で亡くした高校教師の「ぷく」さんは、中1の一人娘と暮らしている。
ある日、出勤前のジョギング途中で15年前の高校の教え子に偶然出会う。そして彼が付き合っていたのはダンナのいる同じ教え子の睦美。その睦美はぷくさんと同じマンションに住んでいた。
「朝日、まぶしいですか? 14階って」突然たずねてきた睦美が聞いた。

潮騒
ガンで余命3ヵ月の宣告を受けた俊治は、小学校3~4年生を過ごした『かもめ海水浴場』を32年ぶりにたずねた。この海水浴場は同級生のオカちゃんがおぼれて死んだ場所。
「みんな留守なんだよ。しょうがないから、シュン、一緒に行こうぜ」という言い方にムッとして、「今日は工作の宿題するから」と断った。
それがオカちゃんとの最後の別れになってしまったのだ。

ヒア・カムズ・ザ・サン
父親を交通事故で失い、以来15年間母一人子一人で暮らしてきた高校生のトシくん。その母親が再検査で胃カメラをのむという。
結果が出たはずなのに何も言わない母。言えない母。
彼女は駅前で歌っている高校生のストリートミュージシャン・カオルくんに息子に伝わるように伝言を頼む。母はすでに再検査を受け、ガンを告知されていた。

その日のまえに」「その日」「その日のあとで
二人で生活し始めた20年前のシンマチに「思い出めぐり」に出かけた。
和美はすでに余命を告げられ、何か身体全体が少しずつ透き通ってきた。微笑がおだやかになり、僕を見つめるまなざしが深くなった。
1泊2日、これが最後の外出になってしまうだろう。

和美は「その日」を前にしてアルバムの写真も、残しておくものと処分するものに分けた。遺影も自分で決め、棺に入れる写真も選んだ。
1年の余命が半年に変わり、3ヵ月になってしまい、医者はそれ以上余命の話をしなくなった。

そして「その日」はおとずれた。

3ヵ月目の月命日を迎える前日、病院でお世話になった看護師から電話が入り、和美からの手紙を手渡される。「亡くなってから3ヵ月たったら渡してほしい」と頼まれていたという。
そこに書かれていたのはたった一言。

<忘れてもいいよ>

ふだんの生活では、ふつうの人はめったに「死」を意識することはない。
しかし、それが突然であれ緩やかであれ、いずれは身の回りにおとずれる。

5年前、連れ合いが乳がんの告知を受けたとき、何気ない日常がホントはすごく大切で幸せなことなんだと改めて気づかされた。
幸い、我が連れ合いは「影が薄くなる」こともなく、「透き通って」くることもなく、ど~んとした姿で今日を迎えている。

そんなおすぎにとって、「その日のまえに」は、かなりしみじみくる1冊だった。

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2005年9月18日 (日)

ロボットに殺人兵士やらせようとしてるやつが嫌い(西和彦氏)

2005_9_18 「ASAHIパソコン」(10月1日号)にアスキー元社長西和彦氏と米マイクロソフト前副社長古川亨氏の対談が載っている。内容はビル・ゲイツの話しに始まり、ブログやら株の話しやらあちこちに広がっている。その中で「コンピュータっていう存在が嫌いではないですよね」と改めて編集部に聞かれた西氏が次のように答えている。

「コンピュータを使ってビジネスをしようとしてるやつらが嫌い。つまり、ロボットは嫌いかって聞かれたら、ロボットに悪いことをするようにプログラムをして、ロボットに殺人兵士やらせようとしてるやつが嫌いっていう、そういう感じです」

そういえば、そんなことを聞いたことがあったなあ・・・。

遠く離れた安全な場所からミサイルをぶっ放すだけでも、そのミサイルの落ちる先に人の生活があるなんて意識は欠如してしまっているだろうに、兵士ロボットに戦いを代行させるなんて・・・。戦争(=人殺し)の敷居(意識)がどんどん低くなっていく・・・。

Yahoo!辞書には2004年10月1日にロボット兵士が新語として登場。また、CNET Japanには次の記事がある。

米陸軍、マシンガンを装備したロボット「Talon」を2005年導入へ(2004/12/3)

iRobotの最大の顧客は米軍ですか(2005/7/14)

↓検索している中で、西氏と広島県知事との対談を発見。「平和工学」という言葉が興味深い。

すこぶる対談「ひろしま未来像」 (2000/9 ←ちょっと古い記事ですが)

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2005年9月15日 (木)

戦争の記憶を武蔵野にたずねて

2005_9_15 久しぶりに出かけた吉祥寺の本屋さんでこんな本を見つけました。

戦争の記憶を武蔵野にたずねて 武蔵野地域の戦跡遺跡ガイド」
(ISBN4-89390-100-1 2005年8月10日発行 ぶんしん出版 Tel.0422-60-2211 本体価格800円)

著者は「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」の牛田守彦さん(法政大学第一中・高等学校教諭)と高柳昌久さん(国際基督教大学高等学校教諭)のお二人。

 武蔵野市、三鷹市、西東京市は、緑豊かで、閑静な住宅街の広がる地域です。この街のどこに戦争の時代の忌まわしい過去が潜んでいるというのか ―― 多くの方がそう思われるのも不思議ではありません。
 しかし、いまから六〇年ほど前、この武蔵野地域は「一大軍需工業地帯」でした。
そして、太平洋戦争の末期、一九四四年から翌年にかけて、アメリカ軍による空襲のため、
大きな被害を受けました。その傷跡は、六〇年という時の移り変わりにも関わらず、確かに
この地域に残っています。(はじめに◇戦争遺跡を訪ねるフィールドワークに出かけよう」から)

  • NTT武蔵野研究開発センター内に残されていた中島飛行機武蔵製作所の地下道
  • 爆撃で欠けた墓石の残る源正寺(武蔵野市)
  • 井の頭公園文化園にある松脂を採るために幹がハート型に傷つけられた松の木
  • 戦闘機を格納するためにつくられた掩体壕(えんたいごう)が残る武蔵野の森公園(調布市)
    などなど・・・。

米軍撮影の当時の航空写真、エリアマップ、写真などをふんだんに使い、分かりやすく丁寧な解説がされています。

平和な日常が送られているその近くに、60年も前の戦争のきずあとが今も残っていることに改めて驚かされます。

このガイドブックを手に「想像力」をはたらかせながら、戦争遺跡を訪ねるフィールドワークに出かけてみるのもいいかも知れません。

小・中学校での郷土学習などに使っていただけるといいかも・・・。

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2005年9月13日 (火)

軍縮地球市民

2005_9_13職場にパンフレットが送られてきていた。「軍縮地球市民

明治大学軍縮平和研究所が発行する季刊誌で、6月に創刊号「特集 核の世界を超える」 そして9月8日に第2号「特集 沖縄から/沖縄へ」が発行されたとのこと。

「へぇ~、明治大学もなかなかやるわい」と思ってHPを見にいったら、なんと昔参議院議員でがんばっておられた故宇都宮徳馬氏主宰の「宇都宮軍縮研究室」を息子さん経由で受け継いだものだと言う。設立の目的には次のように記されている。

 明治大学軍縮平和研究所は、故宇都宮徳馬参議院議員が設立された、宇都宮軍縮研究室の研究成果を継承・発展させ、人類社会の存続に関わる軍縮と国際平和に関する諸問題の研究を行い、研究成果を国内外に公表し、社会的・学問的貢献を行います。

 宇都宮軍縮研究室の設立主旨は、人類の生存を脅かしている軍拡競争に歯止めをかけ、戦争や飢えのない平和な世界を作り出していくため、平和を願う人々の間で情報や研究成果の交換を行い、地球的規模での政策を提言することにありました。

 明治大学軍縮平和研究所は、軍縮、平和に関心のある学内外の研究機関、研究者と提携して研究テーマを設定し、定期的な研究会、講演会、講座開設を行い、国内外の研究機関と平和構築を目指すネットワークを形成することを目的としています。そして多大の社会的、学問的貢献を行うのみならず、国際的な軍縮・平和に関する研究拠点を形成することを大きな目的としてかかげています。

この時代にあって、このような軍縮平和研究所を設立された明治大学は立派です。応援したくなりますね。

創刊号「核の世界を超えて」には、井上ひさし(作家)「原爆とは何か」、高橋昭博(元広島平和資料館館長)「第9条は光り輝く宝石」、伊藤一長(長崎市長)「核兵器廃絶に向けての提言」他

第2号「沖縄から/沖縄へ」では、筑紫哲也(ジャーナリスト)「私の『オブザーベーション・ポスト』」、又吉栄吉(作家)「ウチナーンチュが語る『沖縄』」、上原当美子(元ひめゆり学徒隊)「死の彷徨を続け」

読んでみたいと思いま~す!

各号1,200円。購読の案内はこちらから。

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