2005年12月29日 (木)

あれから5年・・・21(終わりに/いまは)

あれから5年が経った。
退院後もおよそ3年間は買い物や子どもの学校の面談など、必要最小限の外出だけで、基本的には家で過ごしていた。「引きこもり」に近い状態だった。

3年間の「充電期間」を経て、2004年の春、某私立大学の3年次に編入し、心理学の勉強を始めた。
何だか嬉しくて、コツコツ貯めていたへそくりをうっかり「入学手続金にして」とポンと渡してしまった。(いま思うとちょっと惜しい・・・)

久しぶりの電車通学で、体力的には随分厳しそうだったが、若い学生たちの愚痴をこぼしながらも、ほとんど休まずに通い続けている。この冬休み中には卒論を書き上げ、3月には卒業するはず・・・。

気持ちの揺れ(落ち込み)はその後もあった。とくに6ヵ月や1年毎の定期健診(検査)の3週間ぐらい前になると気持ちが沈み始め、検査当日はぐったりと疲れ、その後検査の結果が出るまではなかなか気持ちが上向きにならなかった。

5年間飲み続けたホルモン剤・ノルバデックスの服用もこの秋で終わった。
直後に心配な症状が続いて、子宮体がんの検査を受けた。ノルバデックスを服用していると出やすいと言われている病気。
1週間後、検査の結果を聞きに行った日に
「大丈夫だったよん! 心配かけてばかりでごめんね(*^-^*)」とケータイにメールが入ったときには、正直ほーっとした。

術後10年間転移・再発がなければ、ほぼ大丈夫だと言われている。いまはちょうど5年というターニングポイントを回ったところ。
安心はできないが、とりあえず次の5年に向かって行ける。

連れ合いの病気がわかった後は、毎日の何気ない日常というものがホントはすごく幸せで大切なことなんだと思ったのだが、とりあえず元気になってくれると、その気持ちを少しずつ忘れかけていたように思う。
5年前を振り返ってみて、改めていま、一日一日を大切に過ごしていきたいものだと思っている。

「あれから5年・・・」はこれで終了します。
連れ合いが見れば、「あなたの都合のいいことばかり書いて・・・」と言うかもしれません。
もちろん、ここには書いていないこともあるし、「修羅場」も多少はあったし、忘れてしまったこともあるはず・・・。
でも、この日記(覚書)に書かれた3ヵ月の日々は、「生きる」ということに向き合った結構「濃い」3ヵ月間だったと、いま振り返っても思います。

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2005年12月25日 (日)

あれから5年・・・20(歩き始める)

2000.11.17
「太るのはね、良くないから。この病気にも、他の成人病にも」と執刀医の先生に言われたのが効いたのか、「歩こう」ということになった。
夜8時過ぎに、駅に向かって歩く。目標は駅前の本屋さん。1時間ちょっとかかって無事家に生還。
何日続くことやら・・・。

2000.11.22
こちらの帰りが遅くなった。
今日は歩いていないだろうと思って帰ったところ、小3の息子と二人で駅前まで歩いてきたとのこと。がんばってる。
昼間は息子の学校の個人面談があって、ひとりで出かけた。
午前中は歯医者に自転車で行ったという。
「自転車はまだこわい。自分が思っているのとちょとちがうほうに行っちゃう」とのこと。
「面談で久しぶりによその人と話したんで疲れちゃた」とも。

2000.11.23(勤労感謝の日)
朝、8時過ぎに一緒に愛犬の散歩に出かける。公園から野鳥の森公園。
落ち葉を踏みふみ歩く。「近くに散歩できるこんな場所があってよかったね」と改めて言う。
疲れたのか、昼寝(朝寝?)

2000.11.29
ノルバテックス服用後2週間目の検診。
10時40分からの予約だったが、待ち時間やら採血やらで2時過ぎまでかかったようだ。
かなりぐったりきたようで、「早く帰って」コールが携帯に入る。
でも、とりあえずは副作用もなく順調のようだ。

一緒に歩き始めた。
病気が分かる前とはまた違った意味で、文字通り一緒に歩き始めた。

自転車はまだバランスが崩れるようで、ちょっと危なさそう・・・。
でも、買い物やら学校の個人面談やらと、少しずつ外に出るようにもなった。

また、一緒に歩いていけることがうれしい。

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2005年12月17日 (土)

あれから5年・・・19(ノルバデックス)

2000.11.15
退院後、最初の執刀医の診察を外来で受ける。13時予定のところ、14時に呼ばれる。

手術時にとった乳房内のがん細胞、リンパ節の検査の結果を聞く。
乳房の回りにはがん細胞は無い。
リンパ節には転移していない。

したがって、ホルモン療法をやるのが一般的。
ホルモン感受性の結果は、ひとつは陽性、ひとつは陰性。
二つ陽性の人がよく効くが、ひとつ陽性なので効くと思う。
抗がん剤治療はなし。ホルモン療法でノルバデックスを一日2回飲む。
当面2週間飲んで様子を見る。2週間後に副作用などの確認のため来院のこと。

抗女性ホルモン剤・ノルバデックス
いわゆる更年期障害が副作用として出る。ほてり、他。
子宮体がんを助長するので、1年に1度は子宮ガン検診を受けたほうがよい。不正出血があればすぐ婦人科に。
一方、骨粗しょう症には効果がある。
5年間投与の予定。経過がよければ2年、3年で終わることもある。

リンパ浮腫はいつおこるかわからない。何年かたってから急に出ることもある。

雇用保険の傷病手当金の申請証明書を受付に依頼。5000円かかるらしい。
「金が無ければ証明書ももらえない」と嘆く。

4時に池袋で遅い(早い?)食事。一応お祝いだ!
クリスマス飾りを見て、「クリスマスは無理だと思っていたからうれしい」と。

退院後、執刀医の先生による初めての診察。
手術の際に採った組織やリンパ節の病理検査の結果を伝えられた。
幸いなことに他には転移していないようだ。
ほっとする。

そうか、街にはもうクリスマスイリュミネーションが飾ってあったのか・・・。

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2005年11月29日 (火)

あれから5年・・・18(退院!)

2000.10.29(
退院です。

入院・手術費用はしめて978000円。
朝、小3の息子と一緒に車で病院へ。10時ちょっと前に着く。
4階のナースセンターへ挨拶に。

支払いはデビッドカード(銀行のキャッシュカードが使えるコーナー)便利、便利。
次の外来は水曜日とのこと。
まだ、ちょっと水がたまる。

帰りがけに買い物をし、いつもの本屋さんによって家に。
実家のばあちゃんに電話する。
「ごくろうさまでした」と言われる。

2000.10.30
同僚へのメール・返信

********************************:********
予定どおりに退院され、良かったですね
これからしばらくリハビリが大変だと思いますが
がんばってくださいとお伝えください。

件名 : 退院しました。

> おかげさまで、今日退院しました。
> 乳房はひとつ失いましたが、得たものもあり、また、今まで気が付かなかったものに
> 気が付いたりもしました。
>
> 一日一日を今まで以上に大切にして、前向きに暮らしていければいいなと、二人で話
> しています。
>
> まだしばらく休むこともあるかもしれませんが、とりあえずはホッとしています。
> いろいろとありがとうございました。
>
*************************************

手術から約2週間での退院。
「順調」だったのだと思う。

「そんなに来なくていいから・・・」と言われながらも、結局毎日通い続けた病院。
また、家族5人での生活ができる。始まる。

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2005年11月23日 (水)

あれから5年・・・17(いよいよ退院)

2000.10.24
仕事からの帰り、高一の娘と新宿駅で待ち合わせして、病院へ。
妻は久しぶりにシャワーを浴び、頭も洗ってもらってうれしそう。

今日ドレンが抜けた。
執刀医の先生が見てくれ、「もう退院してもいいね。今度は外来で」と言われたとのこと。
でも主治医の先生が、25~26と不在になる。今週末に退院できるかな・・・。

2000.10.25
だいぶ手も上がるようになり、壁に貼ってある「手形」に近づきつつある。昨日より2センチぐらい上にいったようだ。
「看護婦さんが『すごい、がんばってるね』ってほめてくれるの」と妻。

今日もたまった水を抜いたようだ。
生命保険・助け合い共済に必要な診断書の記入をお願いする。

2000.10.26
夜、9時ごろ主治医の先生が病室に来てくれたとのこと。
帰ってきて寄ってくれたみたい。

2000.10.27
「昼間レジデントが来てくれたけど、ちょっと触っただけで大丈夫ですね、といって帰った」と言って怒ってた。
水が手術後の乳房にたまっているのがわかる。
夜、主治医の先生が来てくれ、伝えたところ、時間外だけどと言いながらも水を抜いてくれたとのこと。
注射器で2本半あったようだ。
退院の話をしたところ、日曜日でも可能とのこと。

明日、入院費の請求金額がわかる。
いよいよ退院だ。

手術前から壁にリハビリ用?の手形の紙が張ってあった。
両手を上に伸ばした位置に右手と左手。

そして手術後、その日、腕ががあがったところに印をつけていく。
毎日少しずつ手形に近づき、「ここまでいったら退院ね」と看護婦さんに言われた位置に近づいてきた。

もう少しで退院だ。

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2005年11月15日 (火)

あれから5年・・・16(18回目の入籍記念日)

2000.10.21
18回目の結婚記念日(入籍した日)。
ケーキでも買っていこう。

雨が上がって日差しが出てきたので、いろいろと洗濯。
鉢植え植物に水をやる。枯らすわけにはいかない・・・。
夏物のスーツを洗濯屋に。

12時40分ごろ小3の息子が帰ってくる。一緒に病院へ行きたいという。
中1の息子も帰ってきたのでミートソースで昼飯。

公文の残り15枚をがんばってやり、公文へ。
3時に帰ってきたので一緒に病院へ向かう。

病院の最寄駅で降り、構内の不二家でショートケーキを3つ買い、コンビニでお茶を買う。
病院へ向かうと、息子が「何かわくわくしちゃうね」って。
「ドキドキでしょ!」

「来てくれたの!!」喜んでくれる。キスの嵐(もちろん息子に)。
一緒にケーキを食べて、入籍記念日を祝う。

主治医の先生にたまった水を抜いてもらったとのこと。うまく、管から出てこないみたい。
地下の売店に雑誌を買いに一緒に行く。
5時を過ぎたので帰路に。

2000.10.22
ちょっと遅いお昼を食べて、1時15分ごろに車で出発。中1と小3の息子が一緒。
道路が結構込んでて、2時45分に着。
やはり子どもと対面できてうれしそう。

乳がんのHPを見始める。
あけぼの会から入ってHANAさんの乳がんホームページの掲示板を読む。
とても書き込みの多い掲示板で、ありがたい。

2000.10.23
午後、職場に高1の娘から電話。おばあちゃんから電話があったとのこと。
「電話してあげて」と言われても、すぐには出来ない。

たのまれていた本を5冊も持って傘もさして、おまけに納豆やら佃煮やらを買って病院へ。

ドレンの位置を変えたとのこと。
右手は水平にまで上がるようになった。
痛み止めは回数を減らしている。
明日、ドレンの管を抜くとのこと。

夜、おばあちゃんに電話。やんわりと病院には来なくていいよと伝える。
HANAさんの掲示板からリンクをたどって関連のHPに入る。

我が家には2回、結婚記念日がある。
入籍をした10月21日(今はもうほとんど語られなくなったけど「10.21国際反戦デー」という日)と
家族だけ集めて結婚のお祝い会をした11月14日(後にその日が「埼玉県民の日」だと知った)

病院でショートケーキでお祝いした10.21の入籍記念日。
ささやかだったけど、無事、手術が終わった喜びがあった。

こちらも少し気持ちに余裕が出てきたこともあり、乳がん関連のホームページをあちこちと見はじめた。
なかでも、HANAさんのホームページには、本当にお世話になった。
掲示板に書き込みをすることもなく、ただひたすら読ませてもらうだけだったが・・・。

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2005年11月 1日 (火)

あれから5年・・・15(術後・愚痴がうれしい)

2000.10.18

千葉敦子著「『死への準備』日記」を読み始める。

5時にぱっと職場を出て、病院へ向かう。

何か食べられるものをと思い、アイスクリームとサンドイッチを買って病室へ。

ドアを開けるとベッドに腰掛けて、元気そうに食事をしている妻の姿。ホっとする。

左手にもったフォークであじをつっつきながら「こんな右手が使えないときに、魚なんか出すなよ、まったく」という愚痴もうれしい。

飲み物と読み物のリクエストにお応えして、駅のコンビニへ。続いて本屋に。

結構いろいろと買ってしまう。やっぱり喜ばしたいんだよね。

痛み止めを飲む。傷は痛いらしい。トイレにつきあい、パンツを変えてやる。

「ごめんね。必ず恩返しするからね」って。

7時。帰る時間。

「みんなたちに、元気だからって言っといてね」

2000.10.19

採血をしにきた医者がへたでさ、太ももでとれずに、左手からとってちゃって、後で来た看護婦さんは、左手はリンパとってるから傷つけちゃいけないのに、って言ってた。

だいじょうぶかな・・・。


2000.10.20

今日は小3の息子の授業参観・保護者会があったのをいいことに仕事を休む。

午前中は洗濯、生命保険・たすけあい共済に請求用紙の連絡。その後、市役所へ国民年金の取得手続きに行き、生協へ買い物に。

ご飯を食べて、乾いていないパジャマにアイロンかけ。

ぎりぎりで体育館へ滑り込む。


ポートボールの試合。息子は鼻くそをほじくりながら試合をやっている。あれじゃボールに鼻くそついちゃうよ。

その後、保護者会。4時半近くまでかかってしまう。

学童から息子と一緒に帰る。

夕飯(お好み焼き)の準備。切る時間はないので材料をセットし、高1の娘に頼む。(たのまなきゃよかった・・・)

注文の本とパジャマを持って、病院へ。

雨が強く、駅まであるいて武蔵野線、埼京線を使う。待ち合わせが悪く時間がかかる。おまけに、座ってたら居眠りが出て、池袋であわてて降りてしまう。

病院の最寄り駅でお茶を買って、7時ちょっと前に病室へ。

「ごめんね。悪いね」と妻が繰り返す。

「ほんとは来なくていいって言いたいんだけど・・・」と。

体をふき、パンツとパジャマを取り替え、シャンプーをする。

「さっぱりした」とうれしそう。


今朝、回診があって傷口を消毒してもらったとのこと。研修医(?)が下手で教授(?)に怒られながら取り替えていったとのこと。


「おっぱい無いの見ると、悲しくなっちゃうね」とポツリ・・・。


手術の翌日訪れた病室。

連れ合いの愚痴やボヤキを、こんなにうれしく感じたことはなかった。

連れ合いのパンツやパジャマをを取り替えたり、シャンプーをしたりなど、元気なときには考えもしなかった・・・。

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2005年10月29日 (土)

あれから5年・・・14(手術・おっぱいは?)

2000.10.17

夕食用の肉じゃがを作ってから病院に向かう。


病院に着いたのは11時ちょっと前。すでに点滴が始まっている。

安定剤を飲んでいるとのことで、結構落ち着いた感じ。


11時半になると、僕は買っていったお弁当で昼食。

連れ合いは看護婦さんに手伝ってもらい手術着に着替える。

1時半丁度に手術室に。「楽にね」と肩に手を触れてやる。

手術部に入って行く寝台を見送る。

手術は午後2時開始とのこと。


病室で「いっしょに年取れなくてごめんね」を読み終わる。

後はひたすら雑誌、新聞を読みつづける。

6時を過ぎて担当の看護婦さんが「今呼ばれましたので迎えに行ってきます」と元気に病室を出て行く。

待つこと15分。手術部の自動ドアが開いて戻ってくる。

うん大丈夫そうだ、顔色はいいし・・・。


部屋に入った後、看護婦さんがベッドに移し、「セット」をしてくれる。

婦長室に呼ばれ、執刀医の先生から手術の説明。

1.5センチのものと小さいものを回りを2センチぐらいつけて取ってみたが、乳首側と肩側にガンがあり、もう1回り大きくとってみた。しかし乳首よりも先にガンがあったので、温存はあきらめ切除したとのこと。

脇のリンパも3箇所とった。


3日ぐらいで傷が落ち着くので、リハビリを始めて肩が上がるようにし、10日から2週間ぐらいで退院できる見込み。

今日とった細胞やリンパの病理検査の結果が1ヵ月ぐらいで出るので、それを見てその後の治療を考えましょう。放射線はもうやらないので、ホルモン療法や抗がん剤など。

部屋に帰るが連れ合いはまだ麻酔で眠っているようだ。


しばらくして「ねぇ・・・」と呼ぶような声。

「お疲れさん」というと「疲れた」と聞こえる。

あまりよく聞きとれないささやき声で「おっぱいは?」と聞いてくる。

首を横に振ると一瞬ポカンとする。「そうか・・・」

先生から聞いた内容を簡単に話す。「仕方ないね・・・」とやはり寂しそう。こちらもつらい。

暑いというので、窓を開けそこにあったファイルであおぐ。

9時少し前に看護婦さんが来てくれたので帰ることにする。

「えーもう帰っちゃうの」という声。「また明日来るよ」


麻酔で朦朧としている中で「おっぱいは?」とくちびるの動きだけで問いかけた連れ合いの声・・・。

首を振ると何とも寂しそうな顔とにじんだ涙・・・。

あれから5年経った今でも、思い出すとなんとも悲しい・・・。

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2005年10月21日 (金)

あれから5年・・・13(手術直前)

2000.10.12

手術は来週火曜日17日になる。外泊許可をもらって週末は家で過ごすことに。

半休をとって池袋で待ち合わせ。

東武のレストラン街で妻は蕎麦定食、私は松花堂弁当を食べる。妻は生ビールのお代わりも。

その後東武美術館に京都三千院展を見に行く。
「仏像はやっぱりお寺で見なくっちゃね」という結論に。

2000.10.13(金)

15日(日曜日)に初級シスアドの試験を受けようと思うと告げる。

「がんばって受かってみてよ。私を励ますつもりで」とは言われたものの、全然勉強してないものね・・・。

2000.10.15

おにぎりを3つ作ってくれる。それを持って試験場に向かう。


試験はだめだなあ・・・。


夕食はおでんにする。みんなよく食べる。

2000.10.16

妻は病院に帰る日。新宿まで一緒に行く。山手線の混雑がひどい。

自分の成人病検診。胃のレントゲンはやめようかな、という気分。近藤誠さんの本の影響か・・・。

夕方病院に寄る。明日が手術なので、またナーバスになっている。
「私、家に帰れるかな」などと。

主治医の先生が病室に来てくれ、手術のおさらい。

睡眠薬も2錠。


手術の日程が決まり、直前の週末を我が家で過ごした。
ボクはといえば、シスアドの試験を受けようと出願はしていたものの、この1ヵ月半のバタバタで、すっかりそのことはすっ飛んでしまっていた。
もし、13日の金曜日が手術だったら、15日の試験は受けられなかっただろう。


たまたま受けられることになったシスアド試験。
妻はおにぎりとともに「がんばって受かってみてよ。私を励ますつもりで」とプレッシャーをかける。


手術前夜。妻はかなりナーバスになっていた。
いよいよ明日は手術だ。

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2005年10月17日 (月)

あれから5年・・・12(手術は13日金曜日?)

2000.10.10

妻、帰院。朝、池袋回りで新宿まで一緒に行く。


夕方、仕事を終え5時ちょっとすぎに病院着。


6時ちょっとすぎに「婦長室」に。執刀医の先生の説明を受ける。

今までの経過とエコーやMRIの写真を見ながら説明を受ける。めずらしい粘液ガン。

ホワイトボードに図解してくれる。あざやかにわかりやすく描くこと・・・。


乳房温存療法でやったらどうか。ガンのしこりのまわりをつけて切除する。そのあと放射線をあてる。ただし、開けてみて、あらかじめわかっている1センチちょとのガンともう一ヶ所のところのほかにもガンがあるようだと、場合によっては乳房切除になる。乳首とガンがあるところの先から3箇所細胞を取り顕微鏡で見る。


わきの下のリンパもとる。最近はなるべく大きくいじらないでとるので、その後はリハビリをすれば元どおりになる。

手術後1週間ぐらいで退院。


放射線は退院後2週間ぐらいしてから、5週間に5回(?)あてる。

手術の承諾書と前哨リンパを探すためのアイソトープと色素注入による検査の依頼状をもらう。

手術の予定は今のところ13日金曜日。そこに入らなければ来週。明日わかるとのこと。

病室に帰り、妻泣く。「もうダメかも」と。

7時の面会時間がきたので、帰る。妻、すがりつく。

この後、担当の先生が来てくれ10分ほど説明やケアをしてくれたとのこと。


池袋で本を2冊買う。

福富隆志(国立がんセンター中央病院外科医長)著「いちばん新しい乳がんの本」

清水光雄(毎日新聞社会部記者)著「一緒に年取れずにごめんね」

2000.10.11

夕方、病院に寄る。まだ、手術の連絡はないという。

家に帰ると、妻より電話あり。今週の金曜日には入らなかったって。
担当の先生がいろいろ説明してくれたけど、乳腺の会議が毎週水曜日にあり、そこで日程を決めているとのこと。

先週の木曜日入院だったので、今週金曜日はちょっと難しかった。医療事故も多いことから看護婦さんに負担の大きい手術は続けてやれない、とのことのようだ。


ずっと入院しているよりも、1度退院して手術の前日に再入院したほうがいいのでは、とのこと。手術が来週後半ならそれもありか。


「13日の金曜日」はなくなったので、喜ぶべきか。前向きに考えれば。

いずれにしても今週末は帰ってくることになる。


「13日金曜日」と聞くとあまりいい気持ちはしない。別にそんなことは信じていないと思っていたけれど、急に不安になったりする。

いま思えば何でもないようなことでも、とにかく過敏に反応していたあの頃。
入院してから二度目の週末も、また家で過ごすことになった。

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2005年10月15日 (土)

あれから5年・・・11(一時帰宅)

2000.10.6

妻、一時帰宅する。


サンマを5枚並べて焼けることの嬉しさよ。


近藤誠著「ぼくがすすめるがん治療」を読み始める。

千葉敦子著「死への準備日記」を買う。


2000.10.8

みんなの声やがたがた立てる音が聞こえてうれしいとのこと。


昼は入院前に行きそこなったと思っていた大好きなカレーやさんに行く。


その後、映画を観に行く。妻はまんじょう霊戦記(?)。
ぼくと小3の息子はホワイトアウト。


夕方、大学病院の担当の先生より電話。10日の午後6時に執刀医の先生から手術の説明があるので、聞きたいご家族の方はおいでくださいとのこと。


夕飯は食べたいと言っていたチゲなべにする。最後のおじやまでよく食べる。
満足していただいたようだ。

2000.10.9

中1の息子が初めての剣道の試合ということで、総合体育館に見に行く。

簡単に負けるが、見られてよかった。


やっと入院したと思ったら、すぐに一時帰宅。
でも家族5人で一緒にご飯を食べられることがとてもうれしそうだった。
ちょっと前までは、そんなことは当たり前のことで、とりたてて「うれしい」と思うようなことではなかったのに・・・。

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2005年10月12日 (水)

あれから5年・・・10(元同僚へのメール)

8月24日に連れ合いが乳がんの告知を受けました。

6月いっぱいで退職し、専業主婦に意欲(?)を燃やしたのもつかの間。7月中ごろに乳房のしこりが気になりはじめ、近くの病院へ。
そこでは悪い病気ではないとの診
断だったものの、本人は心配し大学病院へ。血液検査では問題なかったものの、細胞検査でガンが見つかり、「最悪の場合はお正月は迎えられないかも」との医者の話。

途中まで迎えに行き、池袋の西口公園で二人で泣きました。
よそさまからは、まるで中年の二人が別れ話でもしているように見えたことでしょう。

その後、超音波(エコー)やMRI(磁気共鳴・・・磁力を使って全身の断層写真をとるらしい)アイソトープなどの検査を経て、とりあえず今の段階では他に転移はしていないので、乳房のしこりをとり切れば大丈夫ではないかということになりました。
乳房温存療法で乳房も残せるのではないか。ただし、開けてみないとわからないところもあるが・・・。

告知を受けた日に入院の申し込みをしたものの、ベッドが空かず、待ちにまって、やっと今日入院できたというわけです。

この6週間の長かったこと。
ガンの告知を受けた本人が一番つらいのはもちろんですが、そばにいるものにとっても結構つらい日々でした。

連れ合いは、告知以降、ほとんど引きこもり状態で毎日を過ごしており、家族との関係だけでこの6週間を暮らしてきました。

つい、こちらも弱気になったりして、誰かに聞いてほしく救いを求めようとしてしまったわけです。
連れ合いは元の職場や知り合いの話のネタになるのを極端に嫌がっており、僕が頻繁に休む関係で職場の上司と同僚に話しただけになっています。

この6週間は、「夫婦」や「家族」というものを改めて考えさせられました。

今日入院し、来週末に手術。その後10日ぐらいで退院できるのではないかとのこと。順調に行けば今月末には退院できるようです。
退院してからがまたつらいのかもしれませんが。

わけのわからない長いメールになってしまいましたが、お許しください。
こちらは一方的でも話せてほっとするところあり、あなたの都合も考えず書いてしまっています。
また、書くことがあると思いますが、迷惑でなければお付き合いください。

では、また。

自分の胸の中にしまっておかなければいけないと思いつつ、それでも誰かに聞いてほしくて、退職したかつての同僚にメールを打ちました。
メールなので話しをしたわけではないけれど、それでもずいぶん楽になった自分がいました。
「何の力にもなれないけれど、メールを書くことで少しでも気晴らしになるのであれば喜んで。いつでも、いくらでも書いてください。お気遣いは無用です。」との返信が届いた。

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2005年10月 6日 (木)

あれから5年・・・9(入院)

2000.10.1

下の息子の9歳の誕生日。

一緒に自転車で駅前まで出かけたとのこと。

入院の予定が立ち、気持ちがすっきりしてきたのかも知れない。

お料理もいっぱい作って、楽しい誕生会。

おばあちゃんにデジカメで撮った写真でプレゼントのお礼のはがきを作る。

2000.10.4

「電話してみてくれる」と診察券を渡される。4時ごろまでに連絡がなければかけてみよう。

11:50  病院から電話。空きがでるので、明日の1時に入院できるとのこと。携帯で自宅に連絡。ひと安心。

おばあちゃんから留守電あり。
「どこが悪いのですか。どこに入院するんですか。教えてください、お父さん・・・」

近藤誠著「それでもがん検診うけますか」を読む。

2000.10.5

子どもたちを送り出した後で、入院の準備。といっても告知を受けた翌日にはすべてがそろってバッグの中に詰まっていたのだが。
8月下旬の暑い夏に準備したものは半そで中心。
でもこれで大丈夫でしょう。

突然、妻泣き出す。

「もう本屋には寄れないかも知れないから」と言って、駅下の本屋に寄る。「にゃんにゃん女子高」を買う。

池袋西武8階のカレーやさんでカレーを食べる。

12:50に入院受付着。手続きをして、1号棟4階のナースセンターへ。

担当の看護婦さんが部屋に案内してくれ、こまごまとした説明をしてくれる。

少ししてから、主治医の先生が病室に現われる。(う~ん、若い!)
自己紹介と本人が病気についてどの程度まで理解しているか、今後の日程などについて話す。

「乳房は残したほうがいいですよね。」
「ええ、子どももいるし」
「おいくつですか」
「高1と中1と・・・」

妻、泣き出す。

順調に行けば、来週末に手術。あるいは翌週。手術はしこりの回りを

1.5センチぐらいつけて切除。開けてみて細胞を顕微鏡でのぞいて、判断する。
手術後に放射線をあて、手術後10日ぐらいで退院できる。
「今の状態なら予後は大丈夫だと思いますよ」とのこと。

妻、再び、三度泣く。


ペットボトルのお茶を買って戻ると、看護婦さんが検温中。血圧も測る。

帰る。

買い物をして帰る。妻から電話。さっきも電話したとのこと。「ただだからね」って。

9時までに4回ある。

「さっき先生が来て、7、8、9日は何もないので外泊してもいい」とのこと。
明日、もう一度写真をとる。


「明日(金)帰ろうかな、帰り寄ってくれる?」

やっと入院したと思ったら、1泊でもう帰宅・・・。ほんまかいな。

  

告知から1ヵ月半。
季節は夏から秋に変わっていました。
「待つ」時間は本当に長く感じると、あの時は思いました。

そして、入院したと思ったら「一時帰宅OK」で週末は我が家に・・・。

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2005年10月 3日 (月)

あれから5年・・・8(入院待ち)

2000.9.27

入院の確認のため病院へ。担当の先生が海外出張のため別の先生が対応。30半ばの若い先生だがとても柔らかな対応をしてくれる。

「この入院を持つ間が、ホントにつらいんですよね…」

「確認したところ今週末には何とか入院できそうです」

「入院の順番は私たちには決められないんですよ。えらい先生の患者さんばかり先になっても困りますし」


妻ホッとする。


入退院受付で再度確認。

「今週末には空きが出ると思うんですが」

「順番を決めるのは先生方なんですよ」

再度、診察の合間に先ほど話した先生にお願いに行く。

2000.9.29

今日も電話はこなかった。

「首のリンパ腺がはれて痛いのよ。このまま、死んじゃうのかな」と妻。


中1の息子が左乳首付近にしこりがあって痛いという。妻、青ざめる。

「大丈夫だよ」と言うぼくに、「あなた私のときもそう言ったでしょ」ときつい。


近藤誠さんの「患者よ、ガンと闘うな」を読み始める。

2000.9・30

電話は入らず。


妻にうながされ、入院受付に電話してみる。


電話したが、自宅も職場にもつながらなかったとのこと。

今週末は無理だったが、「来週の中ごろ、火、水、木には大丈夫だと思う」とのこと。


なかなか入院日が決まらず、長い一日が過ぎていく。

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2005年9月30日 (金)

あれから5年・・・7(20年分のお賽銭と祈り)

2000.9.17

疲れているのか余裕がなくなり、ついつい不機嫌になってしまう自分がわかる。

すまないなと思いながらも、つい返事がきつくなり、子どもたちにもあたってしまう。

申し訳ない・・・。


2000.9.19

「早く入院して手術したいよ」と妻。

2000.9.21

急きょ、一泊で奈良に向かう。

興福寺、東大寺、奈良公園をぐるっと回って奈良ホテルに。

夕食はフランス料理。ハーフボトルのワインを結局2本空ける。

ホントに久しぶりの二人だけのゆったりした食事。昔の話がいろいろ出る。

夜はライトアップしている東大寺の大仏殿、あ・うんの仁王像。興福寺の五重塔を見る。

2000.9.22

子どもたちへのモーニングコール。

「弟が吐いた」とねーちゃん。

「楽しんできてね」と言ってはくれたものの、緊張やプレッシャーがかかってるんだね。

近鉄奈良に向かう途中に、興福寺をとおり、昨日寄らなかった東金堂に入る。薬師如来、日光・月光菩薩。

近鉄奈良から西大寺に向かう。西大寺~秋篠寺の歴史の小道を歩く。

秋篠寺のがなかなかのもの・・・。

20年分ぐらいのお賽銭と祈り・・・。


病院のベッドが空かないようで、なかなか手術の連絡が来ない。

そんなに急激に病状が進むわけではないと思いながらも、悪いほうへイメージが広がっていってしまう。つらそうにしている連れ合いを見るのがつらい・・・。


2005_9_30「旅行に行こうか」

二人きりで出かけるのは、14~15年ぶり。子どもが生まれてからは初めてのこと。
二人で奈良を回り、あちこちで手を合わせた。20年分にもなるようなお賽銭・・・。

奈良ホテルで飲み干した2本のワインのコルク栓が、今は2つくさりでつながれ我が家の壁に掛かっている。

あれから5年・・・。

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2005年9月29日 (木)

あれから5年・・・6(信頼できる人へのメール/その返事)

2000.9.14

実はこちらからも暗い話題です。

6月末で退職した連れ合いが、7月中ごろから胸のしこりを気にし始め、市内の病院で検査をしました。その結果は悪くなかったのですが、本人は気にして8月に入ってから大学病院で再度検査を受けました。
血液検査では異常なかったのですが、その後の
細胞検査でガンが見つかりました。「このままではお正月は迎えられないかも知れない」と医者につぶやかれたとかで、本人はドーンと落ち込んでしまいました。8月24日でした。

それ以降、かなり精神的に不安定ななかで、レントゲン、アイソトープ、超音波、MRIなどなど、週2回の割合で検査を受けてきました。

幸い、今日の診察では検査の結果、乳ガン以外にはガンは無いようで、ベッドが空き次第、入院し手術と言うことになりました。まだ、小さいので乳房温存療法でいけるのではないかと言われ、ちょっと希望が見えてきたところです。

そんなわけで、ここ数週間は動けない状態でした。
連れ合いも、なんとか乗り切っていこうという気持ちになってきたようで、このまま立ち向かっていければと思っています。

ではでは。

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from おすぎ

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ホスピスケア研究会代表季羽倭文子著「ガン告知を受けた家族の本」を読み始める。

2000.9.15

おすぎ様

了解しました。
大変だけど頑張ってください。こーゆう時のとおちゃんはつらいものだよね。
あまり先のことまでは考えず、ちゃんと正しい方向を向いてるかな、に気をつけながら
(具体的には病院の選択、担当医との相性等・・・)

「なあに何とかなるさ!!」という感じで、かあちゃんや子ども達に接しながら・・・・
自分もそう思い続けていると、ほんとに何とかなるもんだと思います。

きっとおすぎさんのことだから、お医者さんに疑問な点はしっかりいろいろ聞いていると思いますが、「しつこく聞いちゃ・・・」などと遠慮することなく、なんでも質問相談して、「いい旦那さんだなぁ」という印象を担当医に植え付けるようにしてください。

残念ながらその大学病院には知り合いはいませんが、何か心配な問題があれば、声をかけてくれれば出来るだけの応援をしますから、どしどしメールや電話をください。
しゃべった方が気が楽になるときもあるからね。もちろん一応お医者さん、性格はぬけさくで、肝心な点でややいいかげんだけど、守秘義務に関してはご心配なく。

ではでは。家族の病気・ケガのデパートの店長より

8年間、一緒に保育運動をしてきた仲間から、「どうした?」とメールが届いた。

素直に、経過を書いて返事を送った。

そのメールに対して、また返事をもらった。お医者さんらしいアドバイスがさらっと書いてあった。

力づけようとする気持ちに胸が熱くなった。

しっかりしなくちゃ!と思った。

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2005年9月28日 (水)

あれから5年・・・5(手術前検査の結果)

2000.9.14

9:50分から診察の予定が11:30まで待つ。待ち時間の長いこと。どんな結果を告げられるのか不安がつのる。妻は30分おき位に手をぎゅっと握り締めてくる。


名前をよばれ一緒に診察室に。

アイソトープ検査の結果は特に異常はなし。右足大腿部に関節炎があるとのこと。

超音波検査の写真。1.5センチぐらいのガン細胞と3ミリぐらいの影があるとのこと。切って見ないとわからない。

MRI検査の結果。「二つが比較的近い近いところにあるので、ちょっと大きめに切れば、乳房温存療法でいけると思いますよ」と担当の先生。

「ぼくは来週の水曜日から2週間日本にいないけど、ベッドが空いたら入院して手術をうけてください。スタッフは3人いるので大丈夫。早いほうがいいからね。」「入院した翌週手術になる」

乳房以外には転移していない。とりあえず最悪の事態は免れる。負荷心電図検査を受ける。

入退院受付でベッドの空き状況を聞く。4人部屋第一希望、個室第二希望で入れていた予約を、個室第一希望に変更する。

「私がんばるからね。2、3年は生きられるかもね」とちょっと前向きになる妻。

9月7日と9日に検査を受けてからの5日間。不安で不安定な毎日だった。
14日は仕事を休み、連れ合いと一緒に検査の結果を聞きに行った。

結果は、幸い、乳房以外にはがんの兆候はないとのこと。ほーっと(ホントにほーっと)する。
うまくいけば乳房も温存できるかもしれない・・・。
連れ合いも少し前向きになる。が、たよりの先生が2週間もイギリスに行ってしまう・・・。

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2005年9月24日 (土)

あれから5年・・・4(手術前検査)

2000.9.1

「やっぱり神様って必要だよね」

「神様がいてくれたらいいのになあ」と妻。

2000.9.5

本屋で柳原和子著「がん患者学-長期生存をとげた患者に学ぶ-」を買う。

2000.9.7

「俺の命を半分削ってでも死なせない」と私。「それはカッコよすぎる」と妻。

手術に向けて検査が始まる。

「××ガンセンター」の表示を確認し、地下に下りるとそこはちょと違う世界。

放射線科、核医学科・・・。

注射をしてから検査まで3時間の待ち時間。神宮外苑を一周し、さらに絵画館まで歩き、食事をし、お茶を飲み、それでもまだ時間は余っている・・・。

「残された時間は少ない大切な時間なのに・・・」「でも、こんなことでもなければ、二人で神宮外苑を歩くこともないか・・・」

アイソトープ検査は35分ぐらい。頭の先からつま先まで全身の骨の写真を撮る検査らしい。

先に入って検査していたちょっときれいめな女性が出てくる。待っていたご主人の手をぎゅっと握り締め、ゆっくり出口に向かう。

2000.9.9

超音波(エコー)検査。10:40の予約。早かったが10:10に窓口に予約表を提出。

待てども待てども順番が来ない。予約時間が過ぎても名前をよばれず、次の検査があるので、その旨を告げるも「大丈夫ですよ」と。さらに待って次の検査の予約時間になる旨告げるとやっと調べ始めるが・・・。

提出した予約票が見つからない様子。カルテもない。中のスタッフが何だかんだ言っている。

やっとカルテが見つかったが「先にMRI検査をうけてください」。

MRI検査。磁力を使って全身の写真をとるようだ。25分ほど待って開始。「トットットット・・・」と音が聞こえる。途中で造影剤を注射し、25分くらいで終わる。

もう一度エコーに。「すみませんね」と一応謝られ、検査に。こちらはすぐ終わる。

「やっぱり医療過誤って起こるよね・・・」

  

告知からバタバタしていた1週間が過ぎ、2週目をむかえた。

相変わらず気持ちのゆれが続いている中で、手術に向けて検査が始まる。

私にできることといったら、一緒に病院に行ってあげることと、自分自身を落ち着かせるためにも情報を得ることか・・・。

本屋の棚に並ぶ「がん」と書かれた本がやたら目に飛び込んできた5年前の今頃。

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2005年9月19日 (月)

あれから5年・・・3(気持ちのゆれ)

2000.8.27

こんなに元気そうなからだなのに、どこにそんな病がひそんでいるのか。

「いっしょだよね、いっしょだよね」「安心、あんしん・・・」と。

2000.8.28

朝起きると、左手の手首が痛い。ずっと手を握られていたようだ。

「一日のなかでも気持ちのゆれが何度もあるんだ」と手を上下に揺り動かす妻。

2000.8.31

連れ合いの誕生日。

いっしょに病院へ。連れ合いの言うとおり、まさに「生命のスクランブル交差点」言葉もなし・・・。

骨盤、肺への転移の検査の結果は今のところ大丈夫とのこと。

ベッドがあき次第入院。手術をすることになる。

そのための心電図をとる。受付の人に「誕生日ですね。おめでとうございます。」と言われる。

21世紀をいっしょに迎えたい。

連れ合いは電気を点けたままでないと寝られない。私は電気を消さないと寝られない。そんなこともあって、二人は別々の部屋で寝ていた。

しかし、こんなことになって、私の方が子ども部屋から寝室に引っ越した。連れ合いは手を握ったままで眠りにつく。朝起きると左の手が痛い・・・。(アイマスクを買ってもらったけど、うっとうしい)

から元気が出たり、めそめそしたり、一日の中で気持ちが揺れ動くようだ・・・。