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2007年12月 8日 (土)

喪中を知らせるハガキ(さくらさん、平和を願いつつ・・・)

11月末から12月初めにかけて、喪中を知らせるハガキが届く。

例年と違ったのは、ことしは我が家からも喪中のハガキを出したことと、

ボクが若いときに、とてもお世話になった人が亡くなっていたことをここにきて知ったことだ。

その方は、さくらさんと言う。

平和の問題に多少なりとも関心のあったボクは、十数年にわたって分裂開催となっていた原水爆禁止世界大会が統一されるという話を聞いて、ぜひとも広島に行ってみたくなった。

その話を職場ですると、「それなら組合の代表で派遣してもらえるんじゃない」と言うことになり、話がトントンと進み、千代田の統一代表団の一員として、その夏の原水爆禁止世界大会に参加することになった。

出発前にはいくつかの集まりがあり、千代田原水協の集会へも参加した。

そこで初めてさくらさんと出会った。場所は違うけど同じ勤務先の方だ。

名前を聞いて、「アレッ?」と思った。

実は「組合の代表で派遣してもらえる」と教えてくれた方のダンナさんだったのだ。

小柄で控えめな50歳くらいの方で、「あの、さくらさんのご主人ですか?」と聞くと

「いえいえ、どちらが主人だかわかりませんが・・・」などと笑わせてくれた。

原水禁大会に若いボクが参加することをとても喜んでくれた。

さくらさんは、千代田の平和委員会で役員をやり、日中友好協会にも関わって、夏に山の手教会で開催されるようになった「平和のための戦争展」でも、ホントに地道に力を出されていた。

ボクも一緒に平和の活動をする機会が多くなった。

1980年代に、いわゆる教科書問題がマスコミで取り上げられ始めた。

教員志望だったボクは、この問題に引きつけられ、関係する資料を集め、講演会などにも出かけた。

都立大の山住正己先生が中心となり、「教科書問題を考える市民の会」が結成された。

職場で「教科書問題を考える会」という小さな学習会を何度か開いたときにも、相談にのり、力になってくださった。

20年近く前に定年退職をされたが、平和への思いは強く、地元で「平和のための戦争展」をやりたいと奮闘されていた。

どうしたことか、今年、さくらさんからの年賀状は2通届いている。

1通には教育基本法や憲法への思いを書き入れ、最後に「今年も『反戦平和』で行きたいですね。」と結んでいるもの。

もう1通には、同じ印刷した年賀状の余白に、我が家の子どもたちの成長を驚きつつも、とても喜んでくれている様子や、80歳になり腰痛で外出がままならない様子がびっしりと書きこまれている。

我が家からの年賀状の返信として書かれたもののようだ。

この年賀状のやりとりが最後になってしまった。

会いたいなぁと思ったそのときに、会いに行っておけばよかったのに・・・、

せめて電話を掛けておけばよかったのに・・・と今は後悔している。

奥様からいただいたお手紙から********

「・・・戦後50年から、仲間と始めた「平和のための戦争展・・」の仕事が最後でしたが、在職中からの活動の基点はすべて平和を願う所からのものでした。頑固さを押し通し、病気の発見も遅れ悔いを残す形での最後でしたが・・・」

ボクはその後、さくらさんのようには平和の活動ができていない。

地道に活動しなければと思ってはいても、ついつい楽なほうへ流れてしまっている。

小さな平和のビラを配っているさくらさんの姿を思い出しながら・・・

合掌

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コメント

私も最近ブログ始めました。よろしくお願いします。

投稿: ずーさん | 2007年12月 8日 (土) 18時20分

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