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2007年12月31日 (月)

ベストウォーク・ベストショット2007

1月2日にオムロンの歩数計 Walking style を購入した。

パソコンでデータを取り込め、オムロンHP上の個人ページにデータを転送できる。

毎日の歩数を記録できるのはもちろん、他の人との比較や「日本縦断にチャレンジ」などのお遊びもあるという優れもの。

1月3日に札幌を出発したおすぎは、各県の県庁所在地を巡り、349日間で4,500キロを歩ききり、先日無事那覇に到着した。

最初の頃は、職場の一駅前徒歩通勤や昼休みの公園ウォークを主としていたが、ウォーキング協会がいろいろなイベントを企画していることを知り、5月からはそれに参加するようになった。

ことし、おすぎが参加したウォーキングイベントは以下のとおり。

第12回東京国際スリーデーマーチ(5/3~5)
小金井公園をメイン会場に、3日間違うルートが用意されていた。20キロコースを3日間歩いた。

第5回飯能新緑ツーデーマーチ(5/20)
初日は仕事で参加できず、2日目のみ参加した。20キロコースだったが、どちらかというとハイキング。途中のもてなしの新茶がとても美味しかった。

第8回日光ツーデーウオーク(9/8~9)
世界遺産コースと杉並木コースの20キロを2日間歩いた。初めての宿泊をともなうウォーキング。温泉まんじゅうのお土産は忘れなかった。

第15回川口・見沼ツーデーマーチ(9/22~23)
埼玉県内の比較的近くのイベント。紅白の彼岸花がとても綺麗に咲いていた。

みずウオーク2007(取手大会)(10/7)
読売新聞が主催している主に川沿いを歩くイベント。今回は荒川沿いを20キロ歩いた。  

第9回港よこはまツーデーマーチ(10/13)
2日間のイベントだったが、日曜出勤があったので土曜日のみ参加。港の見える丘公園や山下公園など、観光ルート(デートコース?)も老々男女が一群となって歩いた。

第1回ちばツーデーウオーク(10/20)
2日間のイベントだったが、正味27キロのコースでかなりバテバテになり、2日目はキャンセル? してしまった。幕張メッセ近くのビルと空と雲のコラボがとても綺麗だった。

この中で一番印象に残っているのは、5/3の東京国際スリーデーマーチ初日。おすぎが始めて参加したウォーキングイベントである。馴染みのある玉川上水沿いや吉祥寺、野川公園など、疲れたけれど、五月晴れの中を気持ちよく歩くことができた。43,875歩刻んでいる。

イベントのない週末は、黒目川沿いや荒川近辺などを歩いている。

こうして1年間で歩いた歩数は6,969,775歩。
歩幅換算の距離にして4,744km。
1日平均19,000歩。13kmペースで歩いたことになる。
明日からは、札幌を目指して沖縄から再び日本縦断にチャレンジする。

知人から「歩くときは何を考えているの?」と聞かれた。

あまり考えてみたことはなかったけれど、改めて思い起こすと、出勤途中や昼休みのウォーキングは、結構仕事のことを考えている。忘れていたことをふっと思い出したりする。
帰りや週末のウォーキングでは、家族のことを考えたり、諸々のことを考えている。

ウォーキングイベントでは、歩き始めは結構いろいろ考えているが、15キロを越えた頃からは、「早くゴールに着かないかなぁ」ということばかりを考える。考えているというよりは、何も考えていない状態になれるといった方が正解かもしれない。

ことし、ウォーキングの途中で撮った写真の中で、気に入っているものをいくつかアップしておきます。

2007_12_31_1 荒川支流

2007_12_31_2 荒川

2007_12_31_4 こちらも荒川

2007_12_31_3黒目川沿いのコスモス畑

2007_12_31_5史跡公園

2007_12_31_6 野鳥の森公園

2007_12_31_7 幕張メッセ

 

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2007年12月30日 (日)

おすぎが選ぶ我が家の十大(重大)ニュース2007(「平和」は我が家から・・・87)

と言っても、ことしはブログの記事そのものがかなり少ない。
ブログからだけでは10位まで選び切れそうもない・・・。

【第1位】連れ合いの母の死父の死
連れ合いの母親が2月に、父親が10月に相次いで亡くなった。
ばあちゃんに先立たれたじいちゃんは、生きる気力そのものをを失ってしまったかのように、食事をとらなくなり、そして息をひきとった。
ばあちゃんもじいちゃんも、家族だけで静かに見送った。

【第2位】下の息子、高校入試合格/入学
我が家の下の息子。
3人兄弟の一番下だが、我が家では身長も体積も一番大きくなった。
その息子が無事に志望校の入試に合格し、高校生になった。

【第3位】娘の就職
3月に大学を卒業した娘。
結局、「消去法」で選んだ職に就き(就くことができ)、4月から毎朝バタバタと出かけていく。
ワーキング・プアになりそうな待遇だけれど、まぁ、何とか9ヵ月を乗り切った。

【第4位】連れ合いの進学
「心の闇?」を解明すべく? また学校に通い始めた。
研究発表だのレポートだのと、「完徹」の日もある。
心配は知識が下腹につき始めたことだ・・・。

【第5位】上の息子、免許を取得!
苦節?ヵ月で、何とか免許をとった。
初ドライブの日には助手席で久しぶりのスリルと興奮を味わった。
最近はおすぎの車で出かける夜遊びの成果? か、だいぶ運転も上手くなってきたようだ。

【第6位】銀婚式
結婚から25年。銀婚式を迎えた。
いろいろあったけれど、あっという間という気もする。
でも、3人の子どもたちを見ると、確かにそれだけの年月は経っているのかと・・・。
どこかに旅行するはずが年を越してしまいそうだ。

【第7位】母親の転院/安定
去年の6月に倒れたおすぎのお母ちゃんは、あちこちを転々とした後、最終的に実家からはさほど遠くない介護施設に今年の1月に入所した。
間もなく1年になるが、時々診療所にかかったりするほかは、なんとか無事に過ごしたようだ。実は今日が誕生日で、どうやら米寿を迎えたようだ。
お祝いにと思って、ケーキとプレゼントの靴下を持っていったが、食欲がないとのことでケーキは食べられなかった。まぁ、昨日兄貴がお寿司を持って行ったときには、いくつかつまんだようだが・・・。ここ1ヵ月くらい、食事がのどを通りにくいらしい。
「もう、死ぬかもしれないよォ・・・」と弱気になっていたのが、ちょっと気になるが・・・。
4人いた、じじ・ばばで最後まで残ってくれているお母ちゃんには、もう少し長生きしてほしい。

☆第2位~第7位までは、「順不同」という感じ。

【第8位~】おすぎ、ウォーキングにはまる
ホントはこれがダントツの第1位だという気がする。
何しろ、今年書いたブログの半分はウォーキングがらみだ。
そのきっかけは、このオモチャだ。
「ここから、すべてが始まった」という感じで、この1年間ひたすら歩いてきた。
(ウォーキングの話しは長くなるので、別に改めて書くことにしたい)

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2007年12月23日 (日)

イブイブ・息子の二十歳の誕生日(「平和」は我が家から・・・86)

今日、12月23日は天皇誕生日であると同時に、いわゆるクリスマスのイブイブ。

そして、我が家の上の息子の誕生日でもある。

今年は20回目の誕生日。成人である。

午前中は、息子と連れ合いがいっしょに銀座の伊東屋に出かけた。

二十歳の記念に万年筆を贈ることになっていたのだ。

使うかどうかはわからないが、まぁ1本くらいあってもいいものかな・・・。

お姉ちゃんからは肩から掛けられるカバン。

弟からはリクエストの手帳がプレゼントされ、満足そうな上の息子であった。

2007_12_23 たいがい、クリスマスケーキで代用する誕生ケーキだが、今日は手づくりのチョコレートケーキ。

できばえはいまいちだったが、美味しく食べられた。

明日のイブはお出かけだのバイトだのという人がいて、5人そろうのは今日ということで、子どもたちには連れ合いからクリスマスプレゼントも渡された。

家族5人がそろう機会はだんだん少なくなっていくのだろうけれど、いっしょにいるときはバリバリ食べて楽しく過ごしたい。

今日はM-1を見ながら、敗者復活・優勝のサンドウィッチマンの漫才にみんなで大笑いしてしまった。

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2007年12月17日 (月)

北海道から沖縄まで歩き通しました!

今年の1月3日に札幌を出発。

青森に渡り、以降各県の県庁所在地を結んでテクテクと南下してきました。

そして今日、349日目でついに那覇に到着しました。

当初は、年内に四国か九州まで渡れればいいなぁと思っていましたが、歩き慣れるにつれて1日あたりの距離が伸び、1年かからずに到着しました。

札幌から那覇まで4,565キロメートル。

我ながら、よく歩き通せたと思います。

最後の鹿児島~那覇間が一番きつかったですかね。

何しろ何もない海の上を600キロ以上歩くわけですから・・・。

2007_12_17

(オムロンのHP上にある「日本縦断にチャレンジ」でのことですが・・・)

ちょっと休んで、年明けからは札幌を目指して北上しようかと思っています。

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2007年12月 8日 (土)

喪中を知らせるハガキ(さくらさん、平和を願いつつ・・・)

11月末から12月初めにかけて、喪中を知らせるハガキが届く。

例年と違ったのは、ことしは我が家からも喪中のハガキを出したことと、

ボクが若いときに、とてもお世話になった人が亡くなっていたことをここにきて知ったことだ。

その方は、さくらさんと言う。

平和の問題に多少なりとも関心のあったボクは、十数年にわたって分裂開催となっていた原水爆禁止世界大会が統一されるという話を聞いて、ぜひとも広島に行ってみたくなった。

その話を職場ですると、「それなら組合の代表で派遣してもらえるんじゃない」と言うことになり、話がトントンと進み、千代田の統一代表団の一員として、その夏の原水爆禁止世界大会に参加することになった。

出発前にはいくつかの集まりがあり、千代田原水協の集会へも参加した。

そこで初めてさくらさんと出会った。場所は違うけど同じ勤務先の方だ。

名前を聞いて、「アレッ?」と思った。

実は「組合の代表で派遣してもらえる」と教えてくれた方のダンナさんだったのだ。

小柄で控えめな50歳くらいの方で、「あの、さくらさんのご主人ですか?」と聞くと

「いえいえ、どちらが主人だかわかりませんが・・・」などと笑わせてくれた。

原水禁大会に若いボクが参加することをとても喜んでくれた。

さくらさんは、千代田の平和委員会で役員をやり、日中友好協会にも関わって、夏に山の手教会で開催されるようになった「平和のための戦争展」でも、ホントに地道に力を出されていた。

ボクも一緒に平和の活動をする機会が多くなった。

1980年代に、いわゆる教科書問題がマスコミで取り上げられ始めた。

教員志望だったボクは、この問題に引きつけられ、関係する資料を集め、講演会などにも出かけた。

都立大の山住正己先生が中心となり、「教科書問題を考える市民の会」が結成された。

職場で「教科書問題を考える会」という小さな学習会を何度か開いたときにも、相談にのり、力になってくださった。

20年近く前に定年退職をされたが、平和への思いは強く、地元で「平和のための戦争展」をやりたいと奮闘されていた。

どうしたことか、今年、さくらさんからの年賀状は2通届いている。

1通には教育基本法や憲法への思いを書き入れ、最後に「今年も『反戦平和』で行きたいですね。」と結んでいるもの。

もう1通には、同じ印刷した年賀状の余白に、我が家の子どもたちの成長を驚きつつも、とても喜んでくれている様子や、80歳になり腰痛で外出がままならない様子がびっしりと書きこまれている。

我が家からの年賀状の返信として書かれたもののようだ。

この年賀状のやりとりが最後になってしまった。

会いたいなぁと思ったそのときに、会いに行っておけばよかったのに・・・、

せめて電話を掛けておけばよかったのに・・・と今は後悔している。

奥様からいただいたお手紙から********

「・・・戦後50年から、仲間と始めた「平和のための戦争展・・」の仕事が最後でしたが、在職中からの活動の基点はすべて平和を願う所からのものでした。頑固さを押し通し、病気の発見も遅れ悔いを残す形での最後でしたが・・・」

ボクはその後、さくらさんのようには平和の活動ができていない。

地道に活動しなければと思ってはいても、ついつい楽なほうへ流れてしまっている。

小さな平和のビラを配っているさくらさんの姿を思い出しながら・・・

合掌

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