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2006年8月25日 (金)

育て!被爆アオギリ2世(戸田市発)

今日(8/25)の埼玉新聞(WEB埼玉

平和へ願い込め植樹
広島の被爆アオギリ2世
戸田市
 
 
という記事が、苗木を植樹する市長と子どもたちの写真とともに掲載されている。
記事は以下のとおり

 戸田市役所の平和の像前で二十四日、被爆アオギリ二世の苗木の植樹式があった。

 同市の平和都市宣言二十周年を記念して、広島市で開催(八月六日)の平和記念式典に、今年初めて派遣された平和大使の市民六人が同市からもらって来た。

 アオギリ二世は「平和を愛する心」「命あるものを大切にする心」の願いが込められている。広島原爆の爆心地から約一・三キロで被爆、幹半分が焼けえぐられたアオギリが実らせた種を発芽させて成長させたもの。

 苗木は一本で約二十センチ。成長すると約十五メートルになる。神保国男市長らと平和大使を務めたお母さんと子どもたちが植樹した。その一人、戸田南小六年の前野望美さんは「これが育ったら広島に戻してあげたり、ほかにあげたりしたい。原爆はなくしたい」と話した。

被爆アオギリについてはこちらのHPに詳しく書かれています。

8月15日に寄せた「市長からのメッセージ」でも神保市長は被爆アオギリ二世について触れている。

これらの記事は、最近私が戸田市政に関して持っていたイメージとうまく結びつかない。

ジャーナリストの北健一さんが6月30日号の「週刊金曜日」に書かれた記事。
(メルマガで配信されたものを転載します)

君が代不起立で国家崩壊?
戸田市が思想調査を画策

 埼玉県の戸田市教育委員会が、市立小中学校の入学・卒業式での君が代斉唱をめぐって「来賓を調査する」方針を打ち出したことに市民から抗議の電話が集中している。

 発端は6月13日の戸田市議会で、高橋秀樹議員(民主クラブ)が、国家斉唱時に起立しない保護者や来賓について「放置すれば日本国家の崩壊につながりかねない」と質問。伊藤良一教育長が「腹が煮えくり返るほど怒っている。
何らかの措置を検討しなければ」「市教委として(起立状況を)調査をする」と答弁した。

 『赤旗』、『東京新聞』、『埼玉新聞』等の報道で市民から批判が寄せられると、伊藤教育長は「腹が煮えくり返る」を取り消し、「調査は強制力のない照会という意味だった」と釈明したが、22日の記者会見でも、「起立しなかった来賓がいるか各校長に照会し、今後の対応を諮りたい」と語った。

 本誌の取材に対し文部科学省は、「戸田市教委の話は報道で承知しているが、来賓を調べるというのは他に聞いたことがない。市教委や学校には、来賓に強制する権限はない」(初等中等教育局)とコメント。戸田市庶務課によれば、同市は条例で思想・信条・宗教に関わる個人情報の収集を禁じており、来賓の思想調査は条例違反だ。戸田市教委問題は26日の埼玉県議会でも追及され、島村和男・県教育長は「生徒児童の門出を祝す式典では参加者が起立するのが一般的だが、起立しないことを理由に不利益があってはならない」と答弁した。

戸田市教育委員会総務課の話 調査は任意の照会だ。ただ、来賓も保護者も式の進行に協力してほしい。

(北健一・ジャーナリスト)

どちらも同じ埼玉県戸田市のことだ。

被爆アオギリ二世を大きく育て、その緑の葉っぱを空いっぱいに広げたいものである。

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2006年8月23日 (水)

学校説明会(「平和」は我が家から・・・46)

私立高校の学校説明会に中3の息子と一緒に出かけてきた。

午前10時開始だったので、ちょっと余裕をみて出たつもりだったが、着いたときには既に300人ほどが会場の体育館を埋めていた。

さすがに暑く、もらった学校案内でパタパタとあおいでみても、汗がじとーとしみ出てきた。

暑がりの息子には扇子を貸してやったが、頬を汗がつたっていた。

1時間ほど校長先生から学校の概要の説明を受けた後、入試の説明を少し聞いて体育館での説明会は終わった。

その後は、希望者が残り「個別相談」となった。

この私立高校は息子の第二志望(のはず・・・)。

第一志望は県立(のはず・・・)。

できれば、この私立高校を「併願推薦」したいと思っている(親は・・・)。

そこで「基準点」などを率直に聞いてみようと、個別相談をお願いした。

「単願推薦」(つまり、他の学校は受験しないということ)なら、何とか大丈夫そうだが、「併願推薦」(つまり、公立を第一志望にしてるということ)だと、2ポイントほど届かないとのこと。

ただし、2学期の成績が出てからでも間に合うとのことなので、「君の頑張りしだいだね」と先生に激励されてしまった。

息子は「がんばります」と答えていた。

「併願推薦」でこの私立高校にOKをもらった上で、第一志望の県立高校を受験できたらいいなと思っている。

2学期が始まるとすぐに3回目の「北辰テスト」がある。

業者テストだが、埼玉県内では絶対的な力(偏差値)を持っている。

説明会に行った高校でも「学校の成績」と「北辰テストの偏差値」が推薦基準点としては同等の扱いになっている。「どちらか良い方で判断します」とのこと。

夏休みにコツコツと勉強した成果が出るといいのだが・・・。

そして、12月には2学期の成績が出る。

親はいっしょに説明会に行くことぐらいしかできないけれど、できれば息子が自分で行きたいと思っている高校に合格してほしい思う。

楽しい高校生活が送れる学校に行ってほしい。

学校説明会に行って、「高校受験」がスタートしたように感じている。

息子にとっても(たぶん?)、私にとっても。

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2006年8月22日 (火)

五十肩と寝違えと・・・(「平和」は我が家から・・・45)

6月ごろから右肩に違和感があった。

7月になると、右肩を動かした時に時々痛みを感じるようになった。

8月に入ると、着がえる際にシャツを裾から上に上げて脱ぐことができなくなり、ちょっとした動きで右肩にうずくまるほどの激痛が走るようになった。

まさに五十肩!である。

そんななか、8月10-11日で海に出かけた。ほぼ毎年行っている新潟の海。

中3の息子は「受験生は海なんか行くな」と塾の先生にプレッシャーをかけられていたようだが、我が家では上二人も中3の夏休みまで一緒に出かけていたこともあり、当然のようにお出かけとなったのだ。

午前中海に入り、海の家でビールを飲んでカレーライスを食べると、ちょっと早起きした疲れも手伝ってお昼寝となった。

30~40分も寝ただろうか・・・。一緒に行った息子と連れ合いは海に入っている。

「よし、行くかぁ」と起きあがったが、どうも首の左側が痛い。首が左側に回らない。

見事に首を寝違えてしまったのだ。それも海の家でのお昼寝で・・・。

五十肩で痛む右肩をかばってお昼寝したのが、どうもよくなかったらしい。

結局、五十肩と寝違えのWパンチで、首は右に傾けたままの状態。痛みもだんだん激しくなってきて・・・。

温泉に入るときには息子にシャツを脱がせてもらい、左を向くときには身体ごと回さねばなら無い状態で、なんとも情けない姿になってしまった。(車をバックさせるときにはホントにつらかった・・・)

デジカメでとった写真は、あの昼寝を境にどれも自分の身体が右に傾いているものばかりだった。

あれから10日ほどたって、首は少し痛みはあるものの回せるようになった。

五十肩も一時は寝返りをうつのもつらい時期があったが、いまは「慢性期」を迎えたようで、無理な動きをしなければ痛みは少ない。

ただし、右腕を前から上にはあげられるが、背中側からは腰より上に上げることができない。

もう少ししたら「アイロン体操」(アイロン?を持って腕を前後に振るらしい)やら「ひじまる体操」(肩を前後に回す)をして回復を図りたいと思っている。

若かりし頃には、「肩が痛い」などと言っている先輩を見つけると「五十肩? やだねェー」などとからかっていたものだが、いざ自分がなってみるとしみじみそのつらさが分かる。

<参考にしたホームページ>

NHKためしてガッテン「★謎の激痛!”五十肩”最新情報」

YOMIURI ONLINE 発言小町「!!寝違いの痛み!!」

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2006年8月19日 (土)

8月19日・今日は「俳句の日」

8月19日の今日は「俳句の日」だそうだ。

819(はいく)の語呂合わせで、1992年に俳人で京都教育大学教授の坪内稔典さんらが提唱して始まったという。

とりあえず一句・・・

八月の

  猛暑忘れる

    母の病棟

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2006年8月 9日 (水)

8月9日・ナガサキ

2006_8_9 今日8月9日は長崎原爆の日。

長崎の鐘が打ち鳴らされる中で行われた1分間の黙祷。
テレビの前で、中3の息子と連れ合いとともに、静かに目を閉じた。

伊藤一長市長は、平和宣言のなかで、2006年を核兵器廃絶と恒久平和実現のための再出発の年にしようと訴えかけた。

長崎平和宣言 

「人間は、いったい何をしているのか」
被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。
1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。
しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。
10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。
 
昨年、189か国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。
核保有国は、核軍縮に真摯に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。
 
61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。
本年10月、第3回「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。
被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。

最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。

                  2006年(平成18年)8月9日 
                   長崎市長 伊 藤 一 長

式典に来賓として出席した小泉首相。相変わらずのうすっぺらな言葉が、テレビから流れてくる。

確かに首相在任中に5回も広島・長崎を訪れたのは立派かも知れないけれど・・・。

せめて自分でしゃべった言葉には少しは責任を持ってほしいものである。

「~私は、今後とも憲法の平和条項を順守し、非核3原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立ち続けることをあらためて誓う。」(式典での首相あいさつ要旨)

って。でも、言いそうだな「私は平和憲法を守るとも、憲法を遵守するとも言ってませんよ。『平和条項』を遵守すると言っただけですから」

「長崎を最後の被爆地に」と願う被爆者の平均年齢も既に74歳。

私たちの世代がそれを中継し、次の世代に伝えていかなければならないのだろう。

(写真は昨夜(8/8)行われた「平和の灯(ともしび)コンサート」のポスター)

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二転三転四転院・・・

6月28日救急病院に入院。脳の腫れがおさまるにつれて、食事は自分で食べられるようになるが、足は動かず、基本的にはベッドに寝たままの生活に入る。

7月13日、病院での治療が終わり(これ以上は救急病院の治療ではないと)、幸い、比較的家に近い介護老人福祉施設に入所できることに。しかし、入所して間もなく熱が出始めた。

7月20日、熱が下がらず違う救急病院に入院。検査の結果、熱の原因は肺炎によるものとのことだった。
1週間ほどで熱はおさまり、また介護施設に戻れると話し始めたのもつかの間、また熱が上がり始めた。
改めての検査の結果、熱は膀胱炎などによるものとのことだった。

熱が下がっているときには、少しずれてはいるものの何とか会話が成立する。
お昼に好きなうどんが出ると、おつゆまで飲み干すほどの食欲もある。
お尻をふいてもらった連れ合いが外しているときに「汚いことさせちゃって申し訳ないね・・・」との気づかいの言葉も出てくる。

が、熱が出始めると、ほとんど眠った状態で、大丈夫かな? と心配になる。

8月9日、「療養型病院」に転院する。
結局、熱が落ち着かないため、介護施設には戻ることができない。
治療もリハビリもできるという、この病院に移ることになった。

6月25日に倒れてから、1ヵ月半。4つ目の施設(病院)になる。

先週の土曜に訪ねたときには、遠くを見つめるような目で「もう、病院はたくさん・・・」とつぶやいていた。

家に連れて帰ってあげたいけど、できない・・・。
ごめんね、お母ちゃん。

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2006年8月 8日 (火)

保育合研(分科会)に参加して

「輝け! 子どものいのちと笑顔 ひろげよう 平和へのねがい」をメインテーマに、8月5日から7日まで、今年は埼玉県を舞台に全国保育団体合同研究集会(保育合研)が開催されました。

ホントは3日間通しで参加したかったのですが、土曜日は病院(入院している母親の顔を見に)、月曜日は仕事が入っていて、結局参加できたのは日曜日の分科会のみ。

その分科会もどこ(どっち)に出ようかちょっと(かなり)迷ったのですが、結局「放課後の豊かな生活と学童保育」という分科会に落ち着きました。(フォトジャーナリストの郡山総一郎さんが講師をつとめる「紛争・貧困 私が出会った人 そして子どもたち」にもかなり出たかったのですが・・・)

実は、保育合研の参加は今回が初めて。

子どもが保育園に通っていたときにも興味はあったのですが、自ら参加するところまではいかず、「代表派遣?」にカンパをするところまで。

たまたま、今年は開催地が埼玉。そして分科会の一方が比較的近くの立教大学ということもあって、参加となったわけです。

当初は「要員」で道案内をするつもりでいたのですが、「若い方」がたくさん集まってくれたようで、道案内は無し、分科会の参加のみとなりました。

2006_8_8 「学童保育」の分科会は、保育園がメインの保育合研のなかではちょっと外れた存在。

それでも、指導員や父母(OBも含めて)、議員さんも含めて35名の参加で結構にぎわいました。

レポートは2本。

埼玉県新座市学童保育の会からは、2006年度からの指定管理者制度導入にあたり、父母と指導員が力を合わせて、市と交渉・要請活動をする中で、それまで業務委託で学童保育を運営していた社会福祉協議会を、引き続き随意指定で指定管理者とさせることができた取り組みが報告されました。

また、葛飾区の金町学童保育クラブからは、市が指導員と保護者を引き離す形で進めている公立学童の民営化のなかで、私立保育園が学童クラブの運営を受託し、公立学童では不十分だったところも改善しながら、保育実践を積み上げてきている報告がありました。

討論のなかでは、川崎市の参加者から、学童保育が廃止され、市が強引に推し進めた「全児童対策事業」(わくわくプラザ)の結果、子どもたちの事故が多発し、指導員はただ子どもたちを見ているだけの「難民キャンプ」状態になっているとの報告がありました。

川崎のわくわくプラザは、現在、国が進めようとしている「放課後子どもプラン」の先取り。
この形態が全国に広まっていくのなら、学童保育は廃止の危機に・・・。

まぁ、そうならないように踏ん張っていかなくちゃいけないんですけどね・・・。

3日目の香山リカさんの記念講演「平和・教育・自己責任 -いまどきの『常識』から考える-」も聴きたかった・・・。(残念!)

ps)「集会アピール」によれば、3日間の参加者は全都道府県から10,575名とのこと。
1万人を超える研究集会って、そうそう無いですよね・・・。参加された皆さん、そして要員として集会を支えた埼玉の皆さん、ホントにお疲れ様でした。
ここで得たエネルギーをぜひ今後の活動につなげていきましょう。

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2006年8月 6日 (日)

8月6日・ヒロシマ

今日8月6日はヒロシマ原爆の日。

原爆投下時刻の8時15分は、うっかりワンコの散歩に出ていて、黙祷を忘れてしまった。(いい加減な「おすぎとピース」のおすぎである)

その反省も含めて、いくつかヒロシマ関係のサイトを巡ってみた。

そのなかで、ぜひ皆さんにも読んでほしいと思ったのが、次の2つである。

平和宣言(2006年広島)

放射線、熱線、爆風、そしてその相乗作用が現世(げんせ)の地獄を作り出してから61年――悪魔に魅入られ核兵器の奴隷と化した国の数はいや増し、人類は今、全(すべ)ての国が奴隷となるか、全(すべ)ての国が自由となるかの岐路に立たされています。それはまた、都市が、その中でも特に罪のない子どもたちが、核兵器の攻撃目標であり続けて良いのか、と問うことでもあります。

一点の曇りもなく答は明らかです。世界を核兵器から解放する道筋も、これまでの61年間が明確に示しています。

被爆者たちは、死を選んだとしても誰(だれ)も非難できない地獄から、生と未来に向かっての歩みを始めました。心身を苛(さいな)む傷病苦を乗り越えて自らの体験を語り続け、あらゆる差別や誹謗(ひぼう)・中傷を撥(は)ね返して「他(ほか)の誰(だれ)にもこんな思いをさせてはならない」と訴え続けてきたのです。その声は、心ある世界の市民に広がり力強い大合唱になりつつあります。

「核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある」がその基調です。しかし、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けています。10年前、世界市民の創造力と活動が勝ち取った国際司法裁判所による勧告的意見は、彼らの蒙(もう)を啓(ひら)き真実に目を向けさせるために、極めて有効な手段となるはずでした。

国際司法裁判所は、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との判断を下した上で、「全(すべ)ての国家には、全(すべ)ての局面において核軍縮につながる交渉を、誠実に行い完了させる義務がある」と述べているからです。

核保有国が率先して、誠実にこの義務を果していれば、既に核兵器は廃絶されていたはずです。しかし、この10年間、多くの国々、そして市民もこの義務を真正面からは受け止めませんでした。私たちはそうした反省の上に立って、加盟都市が1403に増えた平和市長会議と共に、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果すよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)を「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」の第二期の出発点として位置付け展開します。さらに核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets)プロジェクト」に、取り組みます。

核兵器は都市を壊滅させることを目的とした非人道的かつ非合法な兵器です。私たちの目的は、これまで都市を人質として利用してきた「核抑止論」そして「核の傘」の虚妄を暴き、人道的・合法的な立場から市民の生存権を守ることにあります。

この取組の先頭を切っているのは、米国の1139都市が加盟する全米市長会議です。本年6月の総会で同会議は、自国を含む核保有国に対して核攻撃の標的から都市を外すことを求める決議を採択しました。

迷える羊たちを核兵器による呪(のろい)から解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起(た)つ時が来たのです。

日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請します。そのためにも世界に誇るべき平和憲法を遵守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます。

未(いま)だに氏名さえ分らぬ多くの死没者の霊安かれと、今年改めて、「氏名不詳者多数」の言葉を添えた名簿を慰霊碑に奉納しました。全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げ、人類の未来の安寧を祈って合掌致します。

2006年(平成18年)8月6日
                      広島市長 秋 葉 忠 利

そしてもうひとつが、中国新聞の社説

中国新聞社説「ヒロシマ61年 『戦争しない国』誓う原点に」

 一九四五年八月六日、午前八時十五分―。広島でさく裂した原爆の惨状を、どんな言葉で表せるだろう。阿鼻(あび)叫喚、狂乱、地獄…。それでも言い切れまい。現世を超えたすさまじい人間破壊の光景ではなかったか。

 原爆の罪は大きく二つある。殺りくが軍人だけでなく、幼子らを含め市民を無差別、大量に殺傷したことが一つ。それと、放射線による体への深すぎるダメージや永続する恐怖で心さえも壊した非人道性だ。故に二度と人間の頭上に落としてはならない。

 広島の原爆による死者数は、四五年末までだけで十四万人±一万人とされる。今なお、死んだ人の数さえ確定しない。今年の原爆死没者慰霊式・平和祈念式で初めて、「氏名不詳者 多数」の名簿が原爆慰霊碑に奉納される。埋め切れないこの事実が、惨禍のむごさの一端を示している。

 そうした負の歴史を顧みることなく、日本は再び「戦争ができる国」に向かってはいないだろうか。守るべき「平和憲法」の枠を超えて、戦火の足音が聞こえないか。その道の先には、累々とした屍(しかばね)の光景とヒロシマの悲劇があることを忘れまい。

 だから、きょう六十一年目の原爆の日は「ノーモア・ヒロシマ」、そして「ノーモア・ウオー」をあらためて誓う「原点の日」にしたい。

 九条の精神守れ

 憲法が公布されて六十年たつ。貫かれた平和主義などの原則が改憲論議で揺れる。自民党は新憲法草案を公表。焦点の九条二項について、現行の「戦力の不保持、交戦権の放棄」にかえて「自衛軍の保持」を明記した。憲法解釈を広げ軍事力を膨張させておいて、「軍隊」へと条文化する「既成事実―追認」の動きだ。民主党の憲法提言も「制約された自衛権」を明記する一方で、海外での武力行使容認もにらむ。

 だが、日本は戦争で焦土になり、広島は原爆で壊滅した。広島はまた、軍都として多くの兵士を海外に送り出した。被害と加害の両方で、失われた命の重みを知る。戦争と原爆の惨禍を経て生まれたのが、九条の「戦争放棄」と「戦力不保持」の規定である。

 今、北朝鮮のミサイル連射など北東アジアの緊張が増し、「やられる前にやれ」の敵基地攻撃論が頭をもたげる。イラク戦争が象徴するように、国際貢献の名の下で「戦地」に自衛隊が出る。そのうえ軍隊を明文化すれば九条の心は失われ、歯止めがなくなる。「再び戦争を起こさない」「海外で武力を使わない」という、ごく当たり前の理念が捨て去られてはいけない。

 日米安保の変質

 政府が合意した米軍再編の最終報告は、安保政策を大きく転換させた。日米が同盟関係をさらに強め、米軍の世界戦略に自衛隊が組み込まれる構図は「軍事一体化」そのものだ。朝鮮半島から中東までにらむ米陸軍司令部が日本に来る。司令部と一体運用される自衛隊の活動は、憲法が禁じる「集団的自衛権」に触れないか。日米安保条約の範囲「極東」の枠をも逸脱しよう。

 ヒロシマの隣、米海兵隊岩国基地には空母艦載機が大量移転する。極東最大級の基地になる。横須賀に配備される原子力空母が兵員輸送で被爆地沖の瀬戸内海に入る可能性さえある。艦載機は海外の戦地へ飛ぶ。緊急時に空母が核兵器を積むことはないか。「非核三原則」は守られるのか。米軍の意向にのみ込まれて、国防政策の根幹がなし崩しに変えられていいはずはない。

 いま、世界は核軍縮どころか核拡散の危機にある。冷戦後も三万発近い核弾頭がある。それに、核拡散防止条約(NPT)体制は崩れかけている。北朝鮮は脱退し核保有を宣言。イランはかたくなに核開発にこだわる。非加盟国のインド、パキスタンが核兵器を持ち、イスラエルも事実上の保有国だ。

 問われるのは米国の核政策である。インドの軍事利用に目をつぶり、平和利用の原子力協定を結んだ。中国やパキスタンをけん制する思惑が透けて見える完全な二重基準だ。さらに、米中枢同時テロ以降、核兵器を小型化し「使いやすく」する方針を捨てない。限定核使用の危険は高まるばかりだ。

 まず軍縮果たせ

 しかし、NPT体制は本来、核拡散の防止と核軍縮が表裏一体だ。まず核大国の米国はじめ保有国が、軍縮の義務を果たすべきだ。そのうえで核兵器をこれ以上、拡散させない国際社会の決意と実行、そして検証が要る。核の怖さと愚かさを知る唯一の被爆国日本は米国追随に流れず、核廃絶の道を保有各国に求める大きな責務がある。冷戦後も続く、各国の核による戦争抑止政策を否定し、外交努力による軍縮こそ目指すべき道ではないか。

 核被害の生き証人である被爆者は老いた。平均年齢は七十三歳を超す。日本被団協ができて半世紀。地方支部が高齢で活動をやめた。直接の被爆者がいない時代がジリジリと迫る。でも、反核や反戦の心が老いてはなるまい。

 被爆体験のない世代が「原点」を継ぐ時代だ。被爆者には今一度、胸が裂けても「あの日」を語ってほしい。原子雲の下の惨状を一行でもいい、自分の言葉で書き残してほしい。子や孫、子どもたちに。広島市内の児童の半数が、原爆投下の日時を正確に答えられない。「知らない」ことの危険を思う。だから伝えることが大切になる。

 若い世代も、被爆者の体験に向き合おう。そこから、人間の命の大切さや輝きが見えるだろう。戦争の道に進む怖さも見えてこよう。貴い命を奪う戦争や核兵器はいらない。足元からそれを考える八月六日でありたい。

ついでに他社の社説

朝日新聞社説「二重被爆が示すむごさ 広島と長崎」
■脱毛、意識不明、流産も
■戦争に自制は利かない
■長崎を最後の被爆地に

東京新聞社説「原爆忌に考える 伝えたいものがある」
■被爆電車の「希望」
■物言わぬ“語り部”
■「風景」になってでも

毎日新聞社説「原爆の日 核兵器廃絶へ新たな一歩を」

今日8月6日はヒロシマ原爆の日。

毎年のことだが、これから8月15日までの10日間は、とくに「平和」を考える日々がつづく。

(今日が「おすぎとピース」の開設1周年!と思い込んでいたものだから、去年の記事を見直していて「8月4日」の記事を見つけたときには唖然とした・・・。)

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2006年8月 4日 (金)

生協の白石さん現象、広がる

Yahoo! JAPAN のトピックスに「生協の白石さん現象、広がる」と題して、河北新報ニュースの「仙台でも「『生協の白石さん』現象 悩みや恋愛相談続々」が紹介されていた。

「生協の白石さん」(がんばれ、生協の白石さん!)が一躍有名になって以来、どこの大学生協でも「ひとこと」カードに注目が集まり、その数が倍増しているという。

それまでどちらかというと「苦情」や「注文」などが中心だったが、直接生協には関係のない「恋愛」や「悩みごと」「人生相談」(マジメ不真面目別にして)「その他もろもろ」が増えてきたようだ。

どこの大学生協にも「生協の○○さん」がいるようで、生協には直接関係のない質問にも丁寧に答えている(し、応えようとしている)。

私がち~っと関わっている大学生協の「ひとこと用紙回答集」(って、ちゃんとまとまってるもがあるんですよ!)をぱらぱらとめくってみた。

Q.愛という言葉の意味を知りたい。(男・伊●)

A.愛ですかぁ~、私も知りたいです!!私も現在模索中です!(食堂・店長)

Q.ショウガ焼きセットの豚肉が1枚すくなかったです。この間は4枚だったのに3枚でした。バレないと思いましたか?(男・シス)

A.ご利用ありがとうございます。生姜焼きは通常3枚出食しています。この前とはいつのことなのでしょうか? そのときは間違えて4枚のせてしまったのだと思います。申し訳ございませんでした。これからは規定どおりに3枚出食しますので、また利用して下さい。(食堂・店長)

Q.いつも水曜日にどんぶりコーナーで働いているおばさん、前からあなたのことが好きでした。結婚してください。(?・ヒミツ)

A.ご利用ありがとうございます。告白のお言葉素直に喜べません。なぜなら・・・・・食堂含め、購買部で働いているパートさんは皆さん、ご結婚されているからです。・・・・・不倫はいけませんよ!大学生の女の子をゲットして結婚してください。(食堂・店長)

Q.清原選手は何を食べてあんなムキムキになったのですか?(女・o(^-^)o)

A.ご利用ありがとうございます。清原選手は肉に生ビールにあとは筋力トレーニングですね!たぶんですよ・・・・・。よく分かりませんが・・・・・店長はあまり野球に興味が無いのでこんな回答しか出来なくてごめんなさい。本当にごめんなさい、、、、、。でも女の子はムキムキにならないほうが良いですよ!!!!! 普通でいいですよ、普通で・・・・・。(食堂・店長)

Q.教えてください。どうして僕はマコトなの?(男・池●誠)

A.わかりません・・・・・親に聞いてください・・・・・。昔「まことちゃん」のマンガを見て決めたのかもよ~「ぐわし!」ってやってみてください。もしかしたら反応するかも・・・・。(食堂・店長)

Q.エロ本置いてください。(男・●井)

A.本当に大学の書籍でエロ本みたい? こっそり自分の部屋で見るから良いんじゃない? ところでエロ本って何処からがエロ本になるんだろう?(購買・店長)

Q.らっしゃい・・・。(男・ミカ子)

A.「おやっさん、今日も暑いね。とりあえず生ちょうだい。」(購買・店長)

Q.斉藤さんのファンです。これからも回答頑張ってください!!&よろしくおねがいします。(女・  )

A.ありがとうございます-----。飛んでま~す。(購買・店長)

うん、結構おもしろいね~。

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