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2005年9月30日 (金)

あれから5年・・・7(20年分のお賽銭と祈り)

2000.9.17

疲れているのか余裕がなくなり、ついつい不機嫌になってしまう自分がわかる。

すまないなと思いながらも、つい返事がきつくなり、子どもたちにもあたってしまう。

申し訳ない・・・。


2000.9.19

「早く入院して手術したいよ」と妻。

2000.9.21

急きょ、一泊で奈良に向かう。

興福寺、東大寺、奈良公園をぐるっと回って奈良ホテルに。

夕食はフランス料理。ハーフボトルのワインを結局2本空ける。

ホントに久しぶりの二人だけのゆったりした食事。昔の話がいろいろ出る。

夜はライトアップしている東大寺の大仏殿、あ・うんの仁王像。興福寺の五重塔を見る。

2000.9.22

子どもたちへのモーニングコール。

「弟が吐いた」とねーちゃん。

「楽しんできてね」と言ってはくれたものの、緊張やプレッシャーがかかってるんだね。

近鉄奈良に向かう途中に、興福寺をとおり、昨日寄らなかった東金堂に入る。薬師如来、日光・月光菩薩。

近鉄奈良から西大寺に向かう。西大寺~秋篠寺の歴史の小道を歩く。

秋篠寺のがなかなかのもの・・・。

20年分ぐらいのお賽銭と祈り・・・。


病院のベッドが空かないようで、なかなか手術の連絡が来ない。

そんなに急激に病状が進むわけではないと思いながらも、悪いほうへイメージが広がっていってしまう。つらそうにしている連れ合いを見るのがつらい・・・。


2005_9_30「旅行に行こうか」

二人きりで出かけるのは、14~15年ぶり。子どもが生まれてからは初めてのこと。
二人で奈良を回り、あちこちで手を合わせた。20年分にもなるようなお賽銭・・・。

奈良ホテルで飲み干した2本のワインのコルク栓が、今は2つくさりでつながれ我が家の壁に掛かっている。

あれから5年・・・。

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2005年9月29日 (木)

あれから5年・・・6(信頼できる人へのメール/その返事)

2000.9.14

実はこちらからも暗い話題です。

6月末で退職した連れ合いが、7月中ごろから胸のしこりを気にし始め、市内の病院で検査をしました。その結果は悪くなかったのですが、本人は気にして8月に入ってから大学病院で再度検査を受けました。
血液検査では異常なかったのですが、その後の
細胞検査でガンが見つかりました。「このままではお正月は迎えられないかも知れない」と医者につぶやかれたとかで、本人はドーンと落ち込んでしまいました。8月24日でした。

それ以降、かなり精神的に不安定ななかで、レントゲン、アイソトープ、超音波、MRIなどなど、週2回の割合で検査を受けてきました。

幸い、今日の診察では検査の結果、乳ガン以外にはガンは無いようで、ベッドが空き次第、入院し手術と言うことになりました。まだ、小さいので乳房温存療法でいけるのではないかと言われ、ちょっと希望が見えてきたところです。

そんなわけで、ここ数週間は動けない状態でした。
連れ合いも、なんとか乗り切っていこうという気持ちになってきたようで、このまま立ち向かっていければと思っています。

ではでは。

****************
from おすぎ

****************

ホスピスケア研究会代表季羽倭文子著「ガン告知を受けた家族の本」を読み始める。

2000.9.15

おすぎ様

了解しました。
大変だけど頑張ってください。こーゆう時のとおちゃんはつらいものだよね。
あまり先のことまでは考えず、ちゃんと正しい方向を向いてるかな、に気をつけながら
(具体的には病院の選択、担当医との相性等・・・)

「なあに何とかなるさ!!」という感じで、かあちゃんや子ども達に接しながら・・・・
自分もそう思い続けていると、ほんとに何とかなるもんだと思います。

きっとおすぎさんのことだから、お医者さんに疑問な点はしっかりいろいろ聞いていると思いますが、「しつこく聞いちゃ・・・」などと遠慮することなく、なんでも質問相談して、「いい旦那さんだなぁ」という印象を担当医に植え付けるようにしてください。

残念ながらその大学病院には知り合いはいませんが、何か心配な問題があれば、声をかけてくれれば出来るだけの応援をしますから、どしどしメールや電話をください。
しゃべった方が気が楽になるときもあるからね。もちろん一応お医者さん、性格はぬけさくで、肝心な点でややいいかげんだけど、守秘義務に関してはご心配なく。

ではでは。家族の病気・ケガのデパートの店長より

8年間、一緒に保育運動をしてきた仲間から、「どうした?」とメールが届いた。

素直に、経過を書いて返事を送った。

そのメールに対して、また返事をもらった。お医者さんらしいアドバイスがさらっと書いてあった。

力づけようとする気持ちに胸が熱くなった。

しっかりしなくちゃ!と思った。

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2005年9月28日 (水)

あれから5年・・・5(手術前検査の結果)

2000.9.14

9:50分から診察の予定が11:30まで待つ。待ち時間の長いこと。どんな結果を告げられるのか不安がつのる。妻は30分おき位に手をぎゅっと握り締めてくる。


名前をよばれ一緒に診察室に。

アイソトープ検査の結果は特に異常はなし。右足大腿部に関節炎があるとのこと。

超音波検査の写真。1.5センチぐらいのガン細胞と3ミリぐらいの影があるとのこと。切って見ないとわからない。

MRI検査の結果。「二つが比較的近い近いところにあるので、ちょっと大きめに切れば、乳房温存療法でいけると思いますよ」と担当の先生。

「ぼくは来週の水曜日から2週間日本にいないけど、ベッドが空いたら入院して手術をうけてください。スタッフは3人いるので大丈夫。早いほうがいいからね。」「入院した翌週手術になる」

乳房以外には転移していない。とりあえず最悪の事態は免れる。負荷心電図検査を受ける。

入退院受付でベッドの空き状況を聞く。4人部屋第一希望、個室第二希望で入れていた予約を、個室第一希望に変更する。

「私がんばるからね。2、3年は生きられるかもね」とちょっと前向きになる妻。

9月7日と9日に検査を受けてからの5日間。不安で不安定な毎日だった。
14日は仕事を休み、連れ合いと一緒に検査の結果を聞きに行った。

結果は、幸い、乳房以外にはがんの兆候はないとのこと。ほーっと(ホントにほーっと)する。
うまくいけば乳房も温存できるかもしれない・・・。
連れ合いも少し前向きになる。が、たよりの先生が2週間もイギリスに行ってしまう・・・。

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2005年9月27日 (火)

軍用イルカ って・・・

2005_9_27軍用イルカ、ハリケーンで逃げ出す/ダイバー狙う毒矢装備
今日(9/27)の日刊ゲンダイに小さく載っていた記事です。

英紙オブザーバー(電子版)は26日までに、超大型ハリケーン「カトリーナ」が8月末に米南部を襲った際、米海軍が飼育する軍事用イルカがメキシコ湾に逃げ出した可能性があると報じた。
イルカは水中でウエットスーツを着た人間に向けて毒矢を放つ訓練を受けており、ダイバーやサーファーが襲われる恐れがあると懸念されている。

「えっ、イルカが?」って思ったのですが、Googleで検索をかけてみたところ、いろいろ出てきました。
殺人兵士ロボットといい、軍用イルカといい、人間って何て愚かなんでしょうか・・・。
(写真は音響追跡装置をひれにつけたイルカ U.S.NAVY MARINE MAMMAL MINE HUNTING SYSTEMSより)

 → 軍用イルカとは何か?

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2005年9月25日 (日)

イラクからの米軍撤退求めワシントンに15万人

ワシントンで15万人が参加し、イラクからの米軍即時撤退を求める大規模なデモが行われたという。2003年3月の開戦以来、最大規模の反戦デモとなったようだ。

このデモはUFPD(平和と正義のための統一)やANSWER(戦争中止と人種差別廃止を求める緊急行動)といった団体が統一行動を呼びかけたほか、現在アメリカで大きな反戦の流れをつくりだしているシンディ・シーハンさんが代表をつとめる「平和のための戦死者の家族」が加わり、いままでは大きな声で戦争反対を口にできなかったような人たちが渦の中に入ってきたようだ。

では日本ではどうなのか?
日本ではWPN(ワールド・ピース・ナウ)の呼びかけで約400人が参加して都心をデモ行進したとのこと。



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2005年9月24日 (土)

あれから5年・・・4(手術前検査)

2000.9.1

「やっぱり神様って必要だよね」

「神様がいてくれたらいいのになあ」と妻。

2000.9.5

本屋で柳原和子著「がん患者学-長期生存をとげた患者に学ぶ-」を買う。

2000.9.7

「俺の命を半分削ってでも死なせない」と私。「それはカッコよすぎる」と妻。

手術に向けて検査が始まる。

「××ガンセンター」の表示を確認し、地下に下りるとそこはちょと違う世界。

放射線科、核医学科・・・。

注射をしてから検査まで3時間の待ち時間。神宮外苑を一周し、さらに絵画館まで歩き、食事をし、お茶を飲み、それでもまだ時間は余っている・・・。

「残された時間は少ない大切な時間なのに・・・」「でも、こんなことでもなければ、二人で神宮外苑を歩くこともないか・・・」

アイソトープ検査は35分ぐらい。頭の先からつま先まで全身の骨の写真を撮る検査らしい。

先に入って検査していたちょっときれいめな女性が出てくる。待っていたご主人の手をぎゅっと握り締め、ゆっくり出口に向かう。

2000.9.9

超音波(エコー)検査。10:40の予約。早かったが10:10に窓口に予約表を提出。

待てども待てども順番が来ない。予約時間が過ぎても名前をよばれず、次の検査があるので、その旨を告げるも「大丈夫ですよ」と。さらに待って次の検査の予約時間になる旨告げるとやっと調べ始めるが・・・。

提出した予約票が見つからない様子。カルテもない。中のスタッフが何だかんだ言っている。

やっとカルテが見つかったが「先にMRI検査をうけてください」。

MRI検査。磁力を使って全身の写真をとるようだ。25分ほど待って開始。「トットットット・・・」と音が聞こえる。途中で造影剤を注射し、25分くらいで終わる。

もう一度エコーに。「すみませんね」と一応謝られ、検査に。こちらはすぐ終わる。

「やっぱり医療過誤って起こるよね・・・」

  

告知からバタバタしていた1週間が過ぎ、2週目をむかえた。

相変わらず気持ちのゆれが続いている中で、手術に向けて検査が始まる。

私にできることといったら、一緒に病院に行ってあげることと、自分自身を落ち着かせるためにも情報を得ることか・・・。

本屋の棚に並ぶ「がん」と書かれた本がやたら目に飛び込んできた5年前の今頃。

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2005年9月20日 (火)

「焼き場に立つ少年」

今日の朝日新聞夕刊に「『焼き場に立つ少年 捜したい』 高校生、共感の文化祭 撮影者招く」の記事が載っていた。

元米軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が原爆投下後の長崎で撮影した「焼き場に立つ少年」を捜し続けていることを知った高校生が文化祭で写真展を開催することになり、これにオダネル氏が招かれたという内容である。

ジョー・オダネル氏が撮影した写真及びコメントはこちらのHP「長崎の一枚の写真」に掲載されている。

 口を固く結び、直立不動でたつ裸足の少年。背中の赤ん坊はすでに息絶えていた――。45年、米海兵隊と上陸し、長崎や広島を訪れたオダネルさんが撮った膨大な写真の1枚だ。地面に穴を掘っただけの火葬場で、少年が幼子の亡きがらを荼毘(だび)に付す順番を歯を食いしばって待っていたという。
 オダネルさんは被爆地を中心に、印象に残ったネガの一部を米国に持ち帰った。ホワイトハウス付きのカメラマンとして活躍後、保管していた写真を世に出したのは45年後。以来、「市民を犠牲にした原爆投下は誤りだった」と写真展や講演会で説き続けている。
 何度も来日し、かつての被写体だった人との再会も果たした。だが、「焼き場に立つ少年」の消息はつかめなかった。

このオダネル氏を描いたドラマがTBSで今年の2月14日に放送されていたという。(見事に見逃している・・・) そのドラマの紹介HPがあった。「焼き場に立つ少年」のコメントも全文掲載されている。

TBS「原爆の夏 遠い日の少年」

戦争って何だろう? この少年を直立不動にしているものは何だろう? と改めて考えさせられる1枚の写真。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ps)ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が昨年末、「核なき世界」を訴えて教会関係者に配布したことから、この写真・記事「焼き場に立つ少年」へのアクセスが増えています。文中のリンクはすでに切れているため、新しいリンクを以下に貼り付けます。こちらでご覧ください。(2018.1.5追記)

「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録(2017.8.9朝日新聞デジタル)

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2005年9月19日 (月)

あれから5年・・・3(気持ちのゆれ)

2000.8.27

こんなに元気そうなからだなのに、どこにそんな病がひそんでいるのか。

「いっしょだよね、いっしょだよね」「安心、あんしん・・・」と。

2000.8.28

朝起きると、左手の手首が痛い。ずっと手を握られていたようだ。

「一日のなかでも気持ちのゆれが何度もあるんだ」と手を上下に揺り動かす妻。

2000.8.31

連れ合いの誕生日。

いっしょに病院へ。連れ合いの言うとおり、まさに「生命のスクランブル交差点」言葉もなし・・・。

骨盤、肺への転移の検査の結果は今のところ大丈夫とのこと。

ベッドがあき次第入院。手術をすることになる。

そのための心電図をとる。受付の人に「誕生日ですね。おめでとうございます。」と言われる。

21世紀をいっしょに迎えたい。

連れ合いは電気を点けたままでないと寝られない。私は電気を消さないと寝られない。そんなこともあって、二人は別々の部屋で寝ていた。

しかし、こんなことになって、私の方が子ども部屋から寝室に引っ越した。連れ合いは手を握ったままで眠りにつく。朝起きると左の手が痛い・・・。(アイマスクを買ってもらったけど、うっとうしい)

から元気が出たり、めそめそしたり、一日の中で気持ちが揺れ動くようだ・・・。

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2005年9月18日 (日)

ロボットに殺人兵士やらせようとしてるやつが嫌い(西和彦氏)

2005_9_18 「ASAHIパソコン」(10月1日号)にアスキー元社長西和彦氏と米マイクロソフト前副社長古川亨氏の対談が載っている。内容はビル・ゲイツの話しに始まり、ブログやら株の話しやらあちこちに広がっている。その中で「コンピュータっていう存在が嫌いではないですよね」と改めて編集部に聞かれた西氏が次のように答えている。

「コンピュータを使ってビジネスをしようとしてるやつらが嫌い。つまり、ロボットは嫌いかって聞かれたら、ロボットに悪いことをするようにプログラムをして、ロボットに殺人兵士やらせようとしてるやつが嫌いっていう、そういう感じです」

そういえば、そんなことを聞いたことがあったなあ・・・。

遠く離れた安全な場所からミサイルをぶっ放すだけでも、そのミサイルの落ちる先に人の生活があるなんて意識は欠如してしまっているだろうに、兵士ロボットに戦いを代行させるなんて・・・。戦争(=人殺し)の敷居(意識)がどんどん低くなっていく・・・。

Yahoo!辞書には2004年10月1日にロボット兵士が新語として登場。また、CNET Japanには次の記事がある。

米陸軍、マシンガンを装備したロボット「Talon」を2005年導入へ(2004/12/3)

iRobotの最大の顧客は米軍ですか(2005/7/14)

↓検索している中で、西氏と広島県知事との対談を発見。「平和工学」という言葉が興味深い。

すこぶる対談「ひろしま未来像」 (2000/9 ←ちょっと古い記事ですが)

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2005年9月16日 (金)

あれから5年・・・2(何気ない日常って)

2000.8.24

「死にたくないよー!」声を殺して泣く妻の 指 腕に食い込む

池袋西口公園、言いたいこと言葉にならず、ただ泣くばかり。

乳がん。免疫性? 群発性? 他に転移している可能性がある?

お正月は迎えられないかも? ベッドが空き次第入院・・・

2000.8.25

「じょうだんだよ」って 誰か言ってくれないかな・・・と妻

「××ちゃんのパンツをまだ洗いたかったのに・・・」

「何にも考えないようにしても やっぱりこわいよー」と・・・

犬の散歩をしながら、涙が込み上げてくる。

2000.8.26

「何気ない日常」ってホントはすごく幸せなことだったんだと 改めて思う。

何気ない日常が終わってみると・・・

ガンに対する知識もなく、連れ合いの口から出る断片的な言葉にただオロオロするばかり・・・。

あの時は、私にとって「ガン」という言葉は「死」とほとんど同義語だった。

もっと知識があれば、もっと冷静にいろいろ調べられれば、連れ合いと一緒にオロオロせず、泣いたりせずに対処できたのかも知れない。

でも、いま思えば、一緒にオロオロし、一緒に泣き、一緒に苦しんだことが良かったのかも知れない・・・。

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2005年9月15日 (木)

戦争の記憶を武蔵野にたずねて

2005_9_15 久しぶりに出かけた吉祥寺の本屋さんでこんな本を見つけました。

戦争の記憶を武蔵野にたずねて 武蔵野地域の戦跡遺跡ガイド」
(ISBN4-89390-100-1 2005年8月10日発行 ぶんしん出版 Tel.0422-60-2211 本体価格800円)

著者は「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」の牛田守彦さん(法政大学第一中・高等学校教諭)と高柳昌久さん(国際基督教大学高等学校教諭)のお二人。

 武蔵野市、三鷹市、西東京市は、緑豊かで、閑静な住宅街の広がる地域です。この街のどこに戦争の時代の忌まわしい過去が潜んでいるというのか ―― 多くの方がそう思われるのも不思議ではありません。
 しかし、いまから六〇年ほど前、この武蔵野地域は「一大軍需工業地帯」でした。
そして、太平洋戦争の末期、一九四四年から翌年にかけて、アメリカ軍による空襲のため、
大きな被害を受けました。その傷跡は、六〇年という時の移り変わりにも関わらず、確かに
この地域に残っています。(はじめに◇戦争遺跡を訪ねるフィールドワークに出かけよう」から)

  • NTT武蔵野研究開発センター内に残されていた中島飛行機武蔵製作所の地下道
  • 爆撃で欠けた墓石の残る源正寺(武蔵野市)
  • 井の頭公園文化園にある松脂を採るために幹がハート型に傷つけられた松の木
  • 戦闘機を格納するためにつくられた掩体壕(えんたいごう)が残る武蔵野の森公園(調布市)
    などなど・・・。

米軍撮影の当時の航空写真、エリアマップ、写真などをふんだんに使い、分かりやすく丁寧な解説がされています。

平和な日常が送られているその近くに、60年も前の戦争のきずあとが今も残っていることに改めて驚かされます。

このガイドブックを手に「想像力」をはたらかせながら、戦争遺跡を訪ねるフィールドワークに出かけてみるのもいいかも知れません。

小・中学校での郷土学習などに使っていただけるといいかも・・・。

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2005年9月14日 (水)

あれから5年・・・1(2000年の夏終わる)

2000.8.24

「やっぱりガンだって・・・」電話口から妻の声、2000年の夏終わる

検査の結果を伝える連れ合いからの電話。

突然終わった2000年の夏。

「何気ない日常」ってホントはすごく幸せなことだったんだと改めて思うようになった2000年の秋。

幸い、連れ合いは元気で今日を迎えている・・・。

※突然5年前にタイムスリップしてしまい、読者の方には(もし、読んでいてくれている方がいればですが・・・)どうしちゃったの? と思われたかもしれませんね。

実は上に書いたように、2000年の夏に連れ合いが乳がんを告知され、それからの検査・入院・手術・退院までのことを「覚書」として書き残してあります。

術後5年。まだまだ安心はできませんが、一つの区切りとして5年前を振り返ってみたいと思います。

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2005年9月13日 (火)

軍縮地球市民

2005_9_13職場にパンフレットが送られてきていた。「軍縮地球市民

明治大学軍縮平和研究所が発行する季刊誌で、6月に創刊号「特集 核の世界を超える」 そして9月8日に第2号「特集 沖縄から/沖縄へ」が発行されたとのこと。

「へぇ~、明治大学もなかなかやるわい」と思ってHPを見にいったら、なんと昔参議院議員でがんばっておられた故宇都宮徳馬氏主宰の「宇都宮軍縮研究室」を息子さん経由で受け継いだものだと言う。設立の目的には次のように記されている。

 明治大学軍縮平和研究所は、故宇都宮徳馬参議院議員が設立された、宇都宮軍縮研究室の研究成果を継承・発展させ、人類社会の存続に関わる軍縮と国際平和に関する諸問題の研究を行い、研究成果を国内外に公表し、社会的・学問的貢献を行います。

 宇都宮軍縮研究室の設立主旨は、人類の生存を脅かしている軍拡競争に歯止めをかけ、戦争や飢えのない平和な世界を作り出していくため、平和を願う人々の間で情報や研究成果の交換を行い、地球的規模での政策を提言することにありました。

 明治大学軍縮平和研究所は、軍縮、平和に関心のある学内外の研究機関、研究者と提携して研究テーマを設定し、定期的な研究会、講演会、講座開設を行い、国内外の研究機関と平和構築を目指すネットワークを形成することを目的としています。そして多大の社会的、学問的貢献を行うのみならず、国際的な軍縮・平和に関する研究拠点を形成することを大きな目的としてかかげています。

この時代にあって、このような軍縮平和研究所を設立された明治大学は立派です。応援したくなりますね。

創刊号「核の世界を超えて」には、井上ひさし(作家)「原爆とは何か」、高橋昭博(元広島平和資料館館長)「第9条は光り輝く宝石」、伊藤一長(長崎市長)「核兵器廃絶に向けての提言」他

第2号「沖縄から/沖縄へ」では、筑紫哲也(ジャーナリスト)「私の『オブザーベーション・ポスト』」、又吉栄吉(作家)「ウチナーンチュが語る『沖縄』」、上原当美子(元ひめゆり学徒隊)「死の彷徨を続け」

読んでみたいと思いま~す!

各号1,200円。購読の案内はこちらから。

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2005年9月12日 (月)

まあ、こんなもんでしょう・・・

2005_9_12この国の民主主義は死んだ」という大見出しに、思わず買ってしまった「日刊ゲンダイ」 

「もはや何も言うことなし」って、確かに気持ち的には結構ピッタリくるんですが・・・。

でもね、そこまで開き直っちゃうわけにもいかないよなぁ・・・。

今日という日が昨日と大きく変わったわけでもないし、明日が大きく変わるわけでもない。

心配してたってきりがない。なるようにしかならないさ!って。(結構、開き直ってる?)

できることをボチボチ、コツコツやっていくしかないさ。

「あんたはホントに楽観的なんだから・・・」って声が聞こえてきそう・・・。

まあ、こんなもんでしょう。

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2005年9月10日 (土)

とにかく選挙に行こう!

いよいよ明日は投票日ですね。郵政民営化に賛成の人も反対の人も、とにかく選挙に行きましょう。

十数年後、あるいは数年後には「2005年の衆議院選挙は第四コーナーだったんだね・・・」と言われることになるかも知れません。歴史に残る選挙になると思います。

子どもや孫たちに「あの時の選挙はどこに投票したの?」って聞かれても、恥じることのない責任ある一票を投じたいし、投じてほしいと思います。

選挙に行かないということは現政権への白紙委任を意味します。「郵政民営化に賛成」だけではなく、選挙後に巻き起こってくるであろう憲法改正への動きやイラクの自衛隊駐留の延長、来年9月以降に出される消費税増税にもOKを出したことになります。「そんなことには賛成していない」と言ったところで遅い・・・。

各政党のマニフェストを比較したサイトがあります。じっくり読み比べて、ぜひ選挙に行きましょう!

Yahoo!JAPANの政党マニフェスト比較

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2005年9月 7日 (水)

「平和」は我が家から・・・7(台風一過)

昨日からチョット遅い夏休みをとっています。と言っても別にギョーカイの人というわけでもありません。

結局、台風とドンピシャ重なってしまい、家での~んびりと台風のニュースやスカパーで映画をみたりして過ごしています。

子どもたちは学校に行っているので、連れ合いと2人きり・・・。時々、連れ合いがベタベタと寄ってきます。「夫婦ってときどきこうやってくっついたりするのがいいんだよね」って。でも、これがホントにベタベタとしているんです。2005_9_7 なんか連れ合いは汗っかきでいつもベタベタベトベト・・・。

夕方、久しぶりにきれいな夕焼けが出ていました。まだ風は強いけど台風一過ってやつですかね。街道から「○○○○をよろしくお願いします」という選挙カーのうったえが重なって聞こえてきました。あと3日ですね。

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2005年9月 2日 (金)

「平和」は我が家から・・・6(娘・初めての選挙)

ことし成人式を迎えた娘にとっての初めての選挙。11日は実習中で家にいないからと、不在者投票に行ってきたようだ。

2005_9_2 (娘)「不在者投票する人は2人しかいなかったのに、まわりにいっぱい人がいてね、いろいろ教えてくれたの」 (私)「へぇ、誰の名前を書くかも教えてくれたの?」 (娘)「あのね、それは違うでしょ!」

娘は娘なりに今の世の中の動きをおかしい、と思っているようだ。そんなに面と向かって政治の話しをするわけではないが、十数年、父や母がブツクサ言っているのを聞いてきている。

ウソやごまかしを言わない人と政党に、平和のために働いてくれる人と政党に、1票を投じたい。

ps:おすぎの市では↑のようなハガキの投票整理券が届きます。ぺリッとはがすとそこに3人分が印刷されていて、それをはさみでちょん切って持って行きます。「な~んで、一人ひとりきちんとくれないんだろう」と我が家ではあまり評判が良くありません。

ps2:マガジン9条の「この人に聞きたい」にマンガ家の石坂啓さんが登場しています。ご一読ください。

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